戦国城跡を歩く

・2008年4月29日


日野ダム近く、中野城跡の碑

日野城





日野氏の居城は音羽の城山にあったが、御家騒動によって音羽城は廃城となり、天文二年(1533)蒲生定秀が三年の歳月をかけて築いたのが日野(中野)城である。 蒲生氏郷はこの城で弘治二年(1556)に誕生した。かつての城域の大部分は、日野川ダムが築かれたことによって水没してしまったが、 稲荷神社・涼橋神社が祀られる丘陵に、石垣、堀切などが残っている。稲荷神社は鬼門除けとして祀られたもので、そのさきの台地は物見櫓跡といい、仔細に歩くと往時の面影を感じることができる。





日野城址の一部は、江戸時代に日野を領した西大路藩の陣屋として使用され、いまも 陣屋跡が残っている。涼橋神社は市橋氏の祖先六孫王を祀ったものというが、横死した藩主の怨霊を鎮めるために建立されたともいわれる。