家所城は、中伊勢の国人領主工藤長野氏の一族草生氏が貞治元年(1362)に築いた平山城である。家所氏は工藤氏祐の第三子祐歳を祖とし、以後、城址界隈の二十四ケ村を領して戦国時代に至った。『勢州軍記』によれば、草生・細野・分部の各氏とともに「長野の与力」として五百人の大将であったという。城址は植林が施されているものの、近所に住まわれているご子孫の方が整備されているとのことで、案内板も的確に立てられ非常に分かりやすくなっている。
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城址は小さな丘にあり、大手方向の矩形の水田はかつての屋敷跡という。少し登ると石垣の残る大手門跡(主郭虎口)へ、主郭の周囲は土塁が取り巻き、北中央の櫓台跡には祠が祀られている。さらに、見張り台、井戸跡、抜け穴の跡などが散在している。そして、圧巻は東にうがたれた空掘で、10m近いかと思われる相当な深さのものである。城址の北方には家所氏の菩提寺跡があり、庭園跡、井戸跡が残り、土塁が取り巻いている。菩提寺を跡にしばらく行くと、家所氏の古い墓碑が畑のなかにたたずんでいた。規模こそ小さいが、かつての街道を見据えた要害堅固な城といえそうだ。
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