戦国山城を歩く
・2007年10月21日
城址案内図に描かれた縄張り
石垣に驚く岩尾城に登る
丹波岩尾城は山南町立和田小学校の裏山(蛇山)山頂部に築かれ、城址の主郭は総石垣づくりという丹波の戦国山城としては珍しい存在だ。小学校裏の登城口から30分ほど登ると尾根筋に出る、そこから尾根をたどって城址を目指す。南曲輪・下知殿丸・堀切・井戸を経て主郭に至る岩だらけの道をよじ登る。井戸はいまも水を讃え。山頂近いところにある井戸としては珍しいものという。岩をよじのぼると、西の丸の石垣から天守台を備えた本丸にたどりつく。天守台からの眺望は絶景で、戦国城主の気分が味わえる。
岩尾城は、戦国時代はじめの永正十三年()、和田斉頼が築いたものである。斉頼の子師季の時、織田信長の丹波侵攻が開始され、天正七年、明智光秀の攻撃によって落城した。その後、天正十四年に佐野栄有が城主となり、いまに残る総石垣造りとした。しかし、栄有は在城十年で城を去り、豊臣秀吉の命により廃城となった。北側の曲輪を探索すると、堀切・土塁が残り、中世城郭と近世城郭とが混在する貴重な城址ともいえそうだ。