氷上郡と多紀郡の郡境にある金山山頂に残る金山城址は、天正六年(1578)九月から翌年十月にかけて明智光秀によって、多紀郡八上城の波多野秀治と氷上郡黒井城主赤井氏との連携を断つ為に築かれた城である。金山一帯には、赤坂の観音堂、不動明王の石仏、園林寺跡、そして民話でも知られる「鬼の架け橋」「天岩」等が散在、城址ファンでなくとも楽しめるハイキングコースとなっている。播磨屋一行は、鐘ケ坂トンネルの篠山市側にある追入神社近くの登り口から金山城址を目指した。
・金山城址遠望・追入神社と登り口・大乗寺方面との合流点・大山荘を望む
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ひたすら旧街道を歩くと園林寺跡にたどり着く、荒れ果てた境内の右方向に金山城址へ続く道がある。
・園林寺跡・金山城址大手門・馬場跡から曲輪、本丸へと縄張りが展開する・本丸跡南側の石垣
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本丸跡からの眺望は抜群。遥か南方に波多野氏の拠った八上城址、北方に目を転じると赤井氏の拠った黒井城址が望める。城址の西方には、安藤広重描く浮世絵でも知られる奇勝「鬼の架橋」が存在する。そこから望む風景は、肝っ玉の縮むこと受け合いの展望だ。
・金山城本丸跡・鬼の架橋(鐘ケ坂トンネル柏原側から見上げる鬼の架橋)
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