きのこ




 
亀岡城の松ノ木に生えているのを発見。
・2006年9月17日

亀岡城はは正式には亀山城という。織田信長から丹波平定を命じられた明智光秀が、天正五年(1577)に丹波攻めの拠点として築城した。明治三年、丹波亀山は伊勢亀山との混同を避けるために地名を亀岡と改め、亀山城も亀岡城となった。現在では、大本教団の本部となっている。

養父市にある八木城への登山道で発見。
・2006年9月23日

八木城は鎌倉時代に築城されたという。城主八木氏は朝倉一族で、南北朝の争乱時代から戦国時代、但馬山名氏に属し山名四天王の一人として但馬に勢力を誇った。八木城へは麓より尾根に沿って約一km、登城道をひたすら登ると頂上に思いがけず石垣があらわれる。見応えのある城跡だ。

八木城の石垣
八木城からの下山途中、あちこちにコロンとあった
・2006年9月23日
これも八木城で、いかにも毒茸のような奴。
・2006年9月23日
氷上市にある高源寺を散策中に発見。
・2006年9月24日

高源寺は佐治郷山垣城主、足立光基の三男遠谿祖雄が正中二年(1325)に佐治郷小倉の地に堂宇を建てたのが始まり。嘉暦元年(1326)に後醍醐天皇より高源寺の名称が与えられ、その後、後柏原天皇の代には勅願寺になったとされており、隆盛を極めた。紅葉の名所としても知られている。
猿の腰掛風、上から見るとハートのカタチ。
・2006年9月24日

鐘が坂トンネルの入口附近で発見。
・2006年10月9日

丹波篠山と氷上柏原を結ぶ国道176号線にある鐘が坂トンネル。鐘が坂はむかしより交通の難所で、明治16年、はじめてトンネルが完成した。以後、交通手段の変化によって昭和のトンネル、そして、現在の平成のトンネルが作られた。明治のトンネルは、現存する煉瓦積み工法では日本最古のものとして知られている。

鐘が坂トンネルから氷上方面を
湖西の高島町にある乙女ヶ池の橋上で。
・2006年10月22日

琵琶湖の西、高島町にある「乙女ヶ池」。古代の「恵美押勝(藤原仲麻呂)の乱」の戦場となり、敗れた押勝とその一族郎党が処刑された地という。戦国時代には、池の畔に築かれた大溝城の外濠として機能した。昔は洞海と呼ばれていたが、昭和初期、淡水真珠の養殖場として利用された頃から「乙女ヶ池」と呼ばれるようになった。池には散策用の橋(歩行禁止)が架けられ、きのこはその橋上で発見した。

大溝城跡の石垣/乙女ケ池
琵琶湖の最北端に近い海津大崎にて。
・2006年10月22日

海津大崎は、琵琶湖八景のひとつに数えられ「暁霧・海津大崎の岩礁」と称され、春には華麗な桜の並木と化す観光の名所である。今回、三十年来の有人夫妻とともに、湖西散策の最後に訪れた。岬の端の高台に建つ真言宗智山派の大崎寺からは琵琶湖が一望、きのこは大崎寺の参道で発見した。

海津の道端で見つけた片喰草
京都北部西賀茂にある氷室神社の参道脇で。
・2006年10月28日

むかし、氷室村と呼ばれた西賀茂氷室町にある氷室神社。主水司清原家が勧請したと伝へられ、仁徳天皇の時代額田大中彦皇子に氷を献上したと伝える稲置大山主神を氷室大神として祀っている。氷室とよばれるだけに、湿気の充ちたところであった。モノ寂びた拝殿は京都府登録文化財に指定され、東福門院の寄進という。一面の熊笹が枯れていたのは、除草剤でも撒かれたのだろうか?

氷室神社の鳥居


これからも「きのこ」探しは、続く・・・ かも