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朽木稙綱が将軍足利義晴のために建てた館跡が秀隣寺となり、現在、興聖寺として残っている。境内を歩くと戦国時代に築かれたという庭園跡が遺され、本殿、鐘楼などに朽木氏の「目結紋」が据えられている。また、春の花々が目を楽しませてくれ、足利将軍も朽木の景色に心を癒されたのだろうか。
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西山城は朽木氏が戦国時代詰めの城として築いた山城である。西方の若狭街道、東方の朽木街道を扼する標高356メートルの西山山上に築かれた要害だ。その規模は南北450メートルの山上に十ヶ所以上の曲輪を築き、堀切・土塁がもうけられ、大手方面には虎口ももうけられている。本丸北方の烽火台など、小規模ながら高い技術で築かれた城だ。
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朽木谷に桜が満開の日に登頂しながら、あいにくの小雨に見舞われ、山上から望めるという琵琶湖こそ見えなかったが、手入れの行き届いた城址は見所がいっぱいだった。城址の近くには愛宕神社が祭られ、いまも参拝者が多いというが、神社の倉庫とおぼしき建物の物陰に一升瓶がごろごろと転がっていたのが残念であった。
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