戦国城跡を歩く

・2008年4月29日


城跡に立つ、音羽城址の碑

音羽城





音羽城は応仁の乱当時、蒲生貞秀が築いた山城である。前面には日野川を配し、背後には宝殿ヶ岳を控える要害堅固な城で、明応五年(1496)、文亀三年(1503)に激しい合戦の舞台となった。いずれも蒲生氏の勝利となったが、大永二年(1522)に起こった一族の内訌により落城、音羽城は廃城となった。城跡を歩くと大手門の石垣跡、壮大な堀切、いまも水が涌く井戸跡などが残り、過ぎ去りし往時における音羽城の堅固さを彷彿とさせてくれる。





城址にはさまざまな遺跡とともに、音羽城の落城のとき、城主秀紀の奥方が投身自殺したという深い井戸跡、また抜け穴の跡なども残されている。秋の落葉の季節に訪れると城の遺跡も明確となり、敷き詰められた落ち葉が自然の絨毯となって素晴らしい景色が展開する。