戦国城跡を歩く

・2008年4月15日


本郭から信楽方面を見る



信楽小川城





小川城は嘉吉三年(1305)に鶴見伊予守長実によって、あるいは、富永俊盛によって築城されたと伝えられる。しかし、山頂城址からの出土品などによって、正安二年(1300)に鶴見伊予守定則(道宗)の築いたとするのが定説となっている。永享元年(1487)、鶴見氏を逐った多羅尾氏の拠るところとなり、天正年間、多羅尾光俊が改築したものがいまに残る城址という。文禄四年(1595)、豊臣秀次の罪に連坐した多羅尾氏は没落、小川城も廃城となったが城址を歩くと、土塁、堀切、虎口などが確認で、石垣もわずかだが残っている。城址からのすばらしい展望が、登山の疲れを一気に吹き飛ばしてくれる山城だ。

西の城/中の城




小川には小川城をはじめとして、西の城、中の城の三城が存在、城址がそれぞれ残っている。中の城は小川城と尾根続きにあり、県道をはさんだ清光寺後方の丘に西の城がある。西の城は小川城に劣らぬ縄張りで築かれ、竹林・檜林に埋もれてはいるが空掘、土塁などを容易に確認できる。戦国時代、小川城を中心として西の城、中の城が三位一体となって機能しいたようだ。

→三城縄張り図