城址から社まで降りてふりかえると、鎧を着込み、武器を持って城に籠った戦国武士の「ど根性」に圧倒される。社から南を望むと波多野氏が拠った八上城が見える。以前に登城した細工所城、淀山城も含め、八上城を中心としたネットワークが構築されていたことが実感できる。八百里城をあとに、畑氏一族が屋敷とした土居の内を訪れる。2006年に訪問したとき工事中であった住居も完成しており、改めて戦国土豪の暮らしぶりの一端を感じることができた。遠くから土居の内を眺めると、その後方には八百里城址がその優雅な山容を見せていた。この景色は、おそらく戦国時代においても、そのままであったのではなかろうか。また、八百里城の近くには、畑庄を領した細川満国ゆかりの神護山太寧寺・佐々婆神社などが点在している。 |