鳩 紋
中世の武士は鳩を八幡大菩薩の使者として崇めた。
鳩に寓生は熊谷直実の紋として知られ、熊谷一族の代表紋となった。
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鳩は平和のシンボルとされ、その帰巣本能から書を伝える鳥としても用いられた。ノアの大洪水の時、鳩がオリーブの葉を加えて戻ってきたことから陸地があることを知りえたと、聖書にも出ている。このように鳩の優れた能力は古来人に尊ばれてきた。
我が国では、武神である八幡大菩薩の神使として中世より武士に尊ばれていた。すなわち、八幡神の軍使でもあったわけだ。日本では平和のシンボルというよりも戦のシンボルとして鳩が遇されていたことが興味深い。
鳩紋を見ると、二羽の鳩が向き合った「対い鳩」が多い。これは八幡神の八を表したものとされ、後世「八」の字の紋も生まれている。いずれも八幡を表したものであることには違いない。また鳩に鳥居とか寓生とか蔦とかを添えたものも多い。いずれも神社に関係のあるもので、神官の宮崎氏は鳥居に鳩を紋としていた。
寓生に鳩紋がある。これは源平合戦の頃に活躍した桓武平氏北条氏流の熊谷直実の紋として有名で、古い紋の一つとされている。
直実は源頼朝が旗揚げしたとき、平家方に属していた。戦に敗れた頼朝が洞穴に潜んでいるのを見つけた直実は、洞穴から二羽の鳩が飛び立ったことことで「人は見当たらず」と、頼朝の窮地を救った。以後、直実は頼朝に属して戦に加わり、二羽の鳩を家の瑞祥として家紋にしたと伝える。しかし、これは後世の付会と思われ、八幡信仰から鳩を紋に用いたと考える方が自然なようだ。
源平合戦における一の谷の合戦などで活躍した直実であったが、幕府成立後は不遇であったようで、のちには法然上人に帰依して出家している。
承久の乱において、直実の子らが活躍して、奥州・安芸などにおいて地頭職に補されたことから熊谷氏は日本各地に広まっていった。近江に土着した熊谷氏もいた。こうして、熊谷姓と寓生に鳩紋も広まっていったのである。熊谷氏の後裔を称する根岸・高力氏らも鳩紋を使用した。また、鳩を外して寓生を家紋にした家も見られる。
平氏流以外の諸氏も鳩紋を使用している。たとえば、源満仲の弟満政を祖とする尾張源氏の一族足助氏・小島氏などである。両家の紋は「見聞諸家紋」にも見ることができる。
こうして鳩紋は、八幡神の使いとして武士の間に広まり、八幡神を信仰する家々の紋として定着したいった。
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写真::丹波篠八幡宮境内で
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どこの家にも必ずある家紋。家紋にはいったい、
どのような意味が隠されているのでしょうか。
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