柊 紋
古代、鋭いとげを持った葉は武器となり、
悪鬼退散祈願の意義が込められて家紋となった。
丸に柊 抱き柊 柊に打ち豆 十六角の抱き柊

柊  柊はモクセイ科の常緑小高木で、野山に自生する。葉の縁に鋭いトゲとなった切れ込みがあり、ふれると柊ぐ(疼ぐ=ひりひり痛む)ことからこの名がついたといわれる。おおむかし、柊で矛を作ったということが『日本書記』『続日本記』など出ていて、柊を矛にして敵を打ち破るのに用いたことがわかる。また『延喜式』には、柊の杖を献上したことが記されている。いまも、山城などに登ると撃退用に植えたものか柊の多いことに気づかされる。
 柊の鋭いトゲを鬼払いに用いたのが、節分の柊とイワシの組み合わせである。紀貫之の『土佐日記』にも節分の豆まきに戸ごとに柊をさしたとあるように、節分には柊の枝葉にイワシの頭を刺して鬼門や門口にはさんで悪鬼払いをする風習がいまも残っている。節分は大晦日の宮中の年中行事「追儺(ついな)」「鬼やらい」から生じたもので、鬼払いの儀式であった。柊のトゲは「鬼の目突き」といって悪い鬼を追い払った。 柊紋はこのような悪鬼退散祈願の意義をもつものとして、家紋に用いられるようになったようだ。
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写真:山口、大内氏館址生垣の柊

 鬼払いに欠かせない柊と節分の日にまく豆とを組み合わせたのが「柊に打豆」紋で、市橋氏の家紋として有名なものである。市橋氏は清和源氏頼親流で、祖光治は「承久の変」に功があって、美濃国池田郡市橋庄の地頭になったという。柊に豆の組み合わせは、鬼をも退散させる強力な呪を込めた紋といえよう。市橋氏は柊紋の他に、武田氏にちなむ「三つ盛菱紋」紋も用いている。
上原柊 大関柊  「抱き柊」を家紋としたのは大関氏で、これは魔除けではなく柊明神の信仰から出たものという。大関氏は武蔵国児玉郡大関邑から起こった武蔵七党丹党の分かれで、入間郡久保村にある柊明神を大関邑の鎮守として勧進して深く信仰した。これによって、二枚の柊葉をもって家紋にしたと伝えている。 江戸時代、水野氏より室を迎えたことから、大関氏の「柊」と水野氏の「沢瀉」を組み合わせて「柊円に沢瀉」を 定紋としたと伝えている。
 『見聞諸家紋』を見ると、安威氏の「抱き柊」、上原氏の「抱き柊と対鶴」紋が記されている。江戸時代になると大名の大関、市橋氏ほか六十七家の幕臣が使っている。その他、清和源氏義光流の山本氏、 藤原利仁流の林氏、その支流の小出、早川の両氏、日下部氏流の日下部氏などが柊紋を用いていある。  

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:柊円に沢瀉 ・ :上原氏の抱き柊と対鶴紋

柊紋を使用した戦国武将家
安宅氏 大関氏 高橋氏(筑後)

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どこの家にも必ずある家紋。家紋にはいったい、 どのような意味が隠されているのでしょうか。
家紋の由来にリンク 家紋の由来にリンク


戦場を疾駆する戦国武将の旗印には、家の紋が据えられていた。 その紋には、どのような由来があったのだろうか…!?。
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家紋イメージ

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