雁金紋
信濃の豪族滋野氏、清和源氏頼季流の信濃源氏が家紋として使用した。
信州に多い紋である。
雁金 結び雁金 尻合せ三つ雁金 頭合せ三つ雁金

 雁は昔から「幸せを運ぶ鳥」として知られていた。「雁書」という言葉があるが、これは中国・漢の武帝の時代、 西域への使者となった蘇武の故事にちなむものだ。漢の使節として匈奴に出かけた蘇武は、不運にも匈奴の内紛に 巻き込まれて囚われの身となった。蘇武の人物を見込んだ匈奴の王は家臣となるように説得したが、漢に節を通す蘇武は うなづくことはなかった。匈奴の王は蘇武を幽閉し翻意を待った蘇武の心は動かなかったため、雄の羊だけを与えて 「この羊が子を産んだら帰してやろう」と言って北海のほとりの無人の地に移した。以後、蘇武は餓えと戦いながら 歳月を送り、遠く漢に渡っていく雁に我が身が無事であることを託したのであった。
 やがて十九年の歳月が過ぎ、漢は武帝の子昭帝の時代となり、漢の使者が匈奴に訪れた。使者は「漢の天子が射止められた雁に 手紙が結ばれていて、『蘇武は大きな湖のほとりにいる』と書いてあった。ただちに蘇武を返していただきたい」 要求した。かくして、蘇武は漢土に還ることができたのであった。以後、雁は幸せを運ぶ鳥として好まれるようになった のである。たしかに、秋の空を一筋に飛んでゆく雁の姿をみると、遠くに住む懐かしい人に手紙を運んでくれるように見えてくる。
 雁はすでに平安時代より文様として『紫式部日記』などにみえ、『源平盛衰記』には平家方の武将・薩摩守忠度が 遠雁の紋を打った鞍を用いたとある。また、盛衰記には土佐坊昌俊が「二文字に結雁」の旗を賜ったとあるが、 史実としては受け入れられていないようだ。さらに下って 『一遍上人絵巻』にも雁紋が用いられている。雁金紋は秋空をきれいに並んで飛んでゆく雁の姿の美しさと、雁書の故事とが 相俟って家紋に転化したものであろう。
………
写真:近江蒲生の馬見丘綿向神社の神紋「雲に二つ遠雁」紋

 雁紋を用いた武家としては、古代豪族滋野氏から出た信濃の海野一族、同じく信濃に勢力を培った清和源氏頼季流の 井上・赤井氏らが有名でそれぞれ代表紋となっている。『太平記』には小串次郎左衛門が直垂に「二雁」を捺したことが 記され、『見聞諸家紋』にも小串氏が見え可愛らしい二つ雁の絵が記されている。また『羽継原合戦記』にも「水に雁は小串 五郎」とあり、雁紋と小串氏とは見事に一体化していたことが知られる。ちなみに『見聞諸家紋』には 井上氏の二つ遠雁、 進藤氏、大西氏の二つ雁紋、高宮氏の丸に三つ雁紋が収められている。さらに越智氏の竜胆に二つ遠雁紋、 飯尾氏・高安氏のホ具に雁紋、大芋氏の菊水に二つ雁紋など他の紋と組み合わせたものも多い。

■見聞諸家紋に見える雁紋

小串 井上 飯尾 大芋
二つ雁 /二つ遠雁 /ホ具に雁 /菊水に二つ雁紋


 戦国時代、下剋上で備前国の大名にのし上がった宇喜多氏の重臣花房氏は「尻合せ三つ雁紋」を用いた。花房氏は清和源氏足利氏流といい、 花房又右衛門はなかなかの勇将であった。 あるとき又右衛門、が播磨灘を船で通ったとき海賊に襲われ、弓矢をもって防いだが矢をきらしていまい進退窮まった。 その機に乗じた海賊は、船を寄せると花房方の船に乗り移ろうとした。そのとき、 又右衛門は最後に残った雁又の矢で海賊の大将の首を射抜くや、 「われは花房又右衛門ぞ、雁金紋に雁又矢、これぞ天下の珍高ぞ」と大音声でよばわった。 その勢いに恐れた海賊たちは、以後、瀬戸内海を通る「雁金紋」を付けた船は襲撃しなくなったという。
 織田信長の重臣で「瓶割り柴田」の勇名を持つ柴田勝家も「二つ雁金」紋であった。 勝家は近江浅井氏が滅亡したのち、未亡人となったお市の方を娶り、越前の北の庄城に拠った。ところが、 本能寺の変で信長が横死すると、織田家中におけるの覇権をめぐって秀吉と対立、賤ヶ岳の合戦で敗れて 滅亡した。いまも、勝家ゆかりの越前では二羽の雁をみると、勝家とお市の方が戻ってきたと言い交わすという。 こちらの雁紋は、蘇武の故事とは対照的に幸せにはほど遠く、哀しい。
 雁紋は海野一族、井上氏ら信濃源氏がが好んで用いたことから、いまでも信州でよく見かける家紋の一つである。

雁金紋を使用した戦国武将家
赤井氏 井上氏(信濃) 大西氏 越智氏 北原氏 柴田氏
高宮氏 花房氏 平岩氏 毛呂氏

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どこの家にも必ずある家紋。家紋にはいったい、 どのような意味が隠されているのでしょうか。
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