竜胆紋
笹竜胆が代表的意匠で、
源氏の代表家紋ともいわれている。
竜胆 五つ竜胆車 埋み竜胆 六つ花竜胆

 リンドウとは竜胆のリュータンが訛ったもので、中国でこの名が付けられ、竜の胆のように苦く根を煎じて飲めば薬効があるという。昔、役の小角という行者が二光山の山中を登っていた。すると白雪のなかに動くものがあり、よく見ると一匹の白兎であった。
 兎は、雪を掘ると一葉の草をくわえて、いずこかへ跳び去った。小角がそのあとを覗くと草があり、その根を噛むと苦かった。しかし、そのうちに、体内に活力がみなぎってきた。この草が、すなわち竜胆で、役の小角は竜胆を薬草にしてついには超能力を体得したという。
 竜胆は秋になると、紫の花をつけ、その可憐な姿は人の目を楽しませてくれる。その花と葉を組み合わせて、デザイン化したものが竜胆紋である。平安貴族は竜胆を衣服の文様とし、あるいは織り出し、あるいは刺繍して妍を競った。
 竜胆がいつごろから家紋として用いられたかははっきりしないが、ある書物によれば「久我家では成人になると、"竜胆たすき"の紋付を着…」とあることから、村上源氏である久我家が竜胆の家紋を使っていたことが知られる。『大要抄』には、中院宗輔の車文が竜胆であったことが記されている。 中院氏は久我氏と同じく村上源氏の一流である。
 竜胆紋は村上源氏のシンボルだったのである。さきの久我・中院をはじめ、六条・岩倉・千種・久世などの村上源氏流公家が竜胆紋を用いている。武家では、播磨の守護職であった赤松氏も村上源氏の裔を称し、三つ巴紋に加えて竜胆紋も用いている。 また、曹洞宗の寺院には竜胆を寺紋としているところが多い。これは、宗祖の道元が、正治二年(1200)土御門上皇の外祖父久我通親の子に生れたことによったものである。
 ところで、竜胆は源頼朝の紋とされ、清和源氏のシンボルともされている。『勧進帳』や『曽我の仇討』などの歌舞伎でも、源氏を表現するものとして見られる。頼朝の母は役の行者の信者で、霊鬼を胎して、生まれた子に鬼武者と名付けた。すなわち、のちの頼朝である。しかし、頼朝が竜胆紋を用いた確証はない。
 これは当然のことであって、当時、家紋は一部の武家を除いて定着していなかった。また、頼朝は源氏の氏の長者であって、そのシルシは白旗ぐらいであった。家紋は名字を表わすシルシであり、氏から分かれたものが用いた。つまり、氏の棟梁である頼朝が家紋を用いることはなかったのである。しかし、その系統の人々が、そのシルシを氏の長者に奉ることはありうる。それが竜胆紋であった。いま、頼朝ゆかりの鎌倉市は竜胆を市章とし、市のあちこちで見かけることができる。
 清和源氏の紋と称されるだけに、頼朝と覇を競った木曽義仲も竜胆紋を用いたとされ、長野県の木曽町も町章としている。義仲の後裔を称した戦国木曽氏も竜胆紋であった。
 ほかに。清和源氏為義流の本堂・馬場・宮川・石川の諸氏、また同氏義時流の石川・古橋氏らも用いている。これらの流は頼朝ともっとも近い流れの家である。それゆえ、頼朝や清和源氏を代表する紋として竜胆紋が定着したようだ。

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写真:清和源氏の聖地、摂津多田神社の「笹竜胆と三つ葉葵」紋

笹竜胆紋を使用した戦国武将家
石川氏 磯野氏 越智氏 木曽氏 北畠氏(浪岡) 千種氏
和賀氏

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どこの家にも必ずある家紋。家紋にはいったい、 どのような意味が隠されているのでしょうか。
家紋の由来にリンク 家紋の由来にリンク


戦場を疾駆する戦国武将の旗印には、家の紋が据えられていた。 その紋には、どのような由来があったのだろうか…!?。
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わが家はどのような歴史があって、 いまのような家紋を使うようになったのだろうか?。 意外な秘密がありそうで、とても気になります。
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