洲浜紋
洲浜の形は献上品などを載せる台で、
藤原姓小山氏一門の代表紋として知られる。
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洲浜は河口にできた三角洲など、水辺にできる島形の洲をいう。いわゆる河と海などの接するところで、曲面の入り組んだ洲の様子を表す
言葉である。水の流れでいろんな姿に変わる、それを柔軟なフォルムで捉えたまるみをおびたラインが特徴。また洲浜
は、蓬莱山の仙境を意味したり、竜宮城を指したりしてめでたい形とされた。
平安時代から慶賀の式などにおける飾りや調度品は、蓬莱山に通じる州浜を象った洲浜台が用いられた。
江戸時代には婚礼の飾りものとして用いられるようになり、州浜は目出たいことを表す言葉にもなった。
いまでも目出たい菓子のひとつに「洲浜」と名づけられたものがあるのは、その名残りである。
洲浜は吉兆をあらわすものとして、平安時代より衣服や調度、絵巻物などに文様として多用された。
はじめは州浜の実景を描いていたものが、次第に洗練され、
さらに州浜台の形を象った意匠へと収斂されていった。そして、州浜のもつ瑞祥的意義もあって家紋に採用されたようだ。
また、州浜はその定まることのない姿が世の中の変幻をも表すものとして、
神社の紋としても用いられ、紀州熊野神社の奥院に位置づけられる玉置神社のものが知られる。
神官玉置氏も「洲浜」を家の紋とし、熊野神社の神官である鈴木氏もこの紋を用いている。
戦国時代、紀伊手取山城に拠った玉置氏も神官玉置氏の一族を称して州浜を用いた。
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写真:四万十川河口の中洲(Google 航空写真)
州浜紋の史料への初出は、『太平記』に「三●」
と記されているもので三つ洲浜紋である。文字が鱗に似ているところから
「三つ鱗紋」と誤解されるケースもあるが、誤読であることはいうまでもない。
中世の武家では源頼朝落胤説を有する小田氏一族の代表紋として知られ、関東永享の乱を記した『羽継原合戦記』に
「小田氏の紋は足長洲浜」と記されている。
小田氏は宇都宮氏から分かれた一族で、源頼朝に仕えた八田知家を祖とする。鎌倉時代には常陸国守護職をつとめたが、
南北朝期に南朝方として活動したため、一時期、衰退して守護職は佐竹氏にとって代わられた。しかし、よく勢力を保ち
戦国大名に列した。
戦国時代、上杉謙信が参陣してきた関東諸将の幕紋を書き留めた『関東幕注文』には、
小田中務少輔「すわま」とあり、一族の宍戸中務大輔、筑波太夫、柿岡刑部大輔、岡見山城守らも「すはま」と
記されている。同書には、下野国の本田・市場・大屋・岩下の諸氏、上野国の薗田・津布久・
阿久津の諸氏らも洲浜紋を用いたことが記され、洲浜紋が関東地方に多く分布していたことがわかる。
小田氏の場合、州浜紋の由来を源氏の先祖六孫王経基王の「六」の
字を紋章化したものというが、家系伝承にいう清和源氏説を粉飾する付会というものだろう。
おそらく、はじめは宗家の宇都宮氏と同じく巴紋を用いていたものが、
やがて、宗家と区別するために巴を州浜に変えたのではなかろうか。
ちなみに州浜は「巴くずし」ともいわれ、その丸みを帯びた意匠、使用家の分布が巴紋のそれと重なっていることなどから
小田氏の州浜紋は巴紋がベースであったのでは?と思えるのである。
一方、『見聞諸家紋』には陶山・寺町・茨木・吉田・伊庭・宍戸氏らの洲浜紋が収録されている。室町時代、州浜の紋を使用した
武家が全国的に多かったことが知られる。ところで、見聞諸家紋には小田氏の一族と思われる小田又次郎知憲がみえ紋は
「亀甲に酢漿草と二月文字」とある。また、
諸家紋にみえる宍戸氏は小田氏の一族ではあるが、安芸国高田郡の所領に移住したものである。
その家紋は「花洲浜」とよばれ、通常の洲浜に比べて意匠が凝っているのが特長である。先にも記したが、より六孫王の六の
字を意識したものとなっている。時代が下るにつれ、家系源氏説が一般化した結果かもしれない。
■見聞諸家紋に見える州浜紋
州浜に山文字 /三つ盛州浜 /庵の内に州浜 /足長州浜
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ところで、洲浜紋には「足付き」と呼ばれるものがある。洲浜は引き出物の台に用いられたことから、足が付いていても不自然ではないわけで、
いまでも常陸の佐竹氏に仕えた小貫氏の後裔の家で「足付き洲浜」を使用されているという。古式を伝えるものとして、
子々孫々に伝えて欲しいものである。
他方、信州の真田氏も六文銭・雁金紋とともに「洲浜紋」を用いた。これは海野氏一族が信仰した白鳥神社の神紋から
きたものである。また、九州の武士大蔵氏流日田氏の一族が用いた「鬼洲浜紋」と称される独自な意匠の洲浜紋がある。
いま、州浜紋を用いられる家の場合、関東出身ならば小田氏族、紀州・大和出身ならば玉置氏族、
九州出身ならば日田氏族とおおよその見当がつけられそうだ。
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図:足付き洲浜
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