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榊原氏
源氏車
(清和源氏足利氏流仁木氏族)


 清和源氏足利義康の四世の孫実国が三河国額田郡仁木に住んで仁木氏を称し、のち室町時代にその一族の利長が、伊勢国一志郡榊原村に住み。榊原氏を称したのがはじまりという。利長の孫清長が三河に移り住んで松平氏に仕えたのがはじめとされる。
 その孫康政は天文十七年(1548)の生まれで、家康より六歳年下である。康政は最初、松平宗家に対抗した酒井忠尚の小姓であったが、永禄三年はじめて家康に対面し、側近として仕えた。時に十三歳であった。
 三河一向一揆で初陣し、家康の諱の一字を与えられた。永禄七年の吉田城攻めには旗本の先手となり、以後諸合戦でも必ず先鋒とされた。旗本先手役には、康政のほかに本多忠勝・大久保忠世・大須賀康高などがおり、常に家康の側近にあった。
 小牧・長久手の戦いのとき、小牧城の守備を命じられたが、家臣ともども決死の覚悟のほどを言上し、家康を感服せしめた。のち、康政が秀吉のもとに参上したとき、康政の家康への忠義に秀吉は大変感心したという話が伝えられている。
 関東入国後、はじめ上野館林城十万石を領した。関ヶ原の戦後、井伊直政・本多忠勝とともに、諸将の忠・不忠をたあし天下の政事に関与した。子孫は、姫路城十五万石、のちに転じて越後高田藩主となっている

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■参考略系図