椎名氏
蔦の葉 
(桓武平氏千葉氏流)


 桓武平氏の千葉氏族で、下総国椎名が苗字の地とされる。鎌倉時代から越中と関係をもったらしく、南北朝初期に椎名孫八入道が越中松倉城を攻めている。明徳三年には畠山満家郎等三十騎のなかに椎名長胤の名がみえ、この頃までに越中守護畠山氏の重臣になっていたようだ。
 十五世紀半ばから三守護代制が布かれると、椎名四郎次郎は新川守護代となった。畠山氏の内訌では神保氏らとともに政長方として、応仁の乱でも東軍に属して戦っている。椎名康胤のころ、養子を長尾氏から迎えるほど越後上杉氏との結びつきを強めていったが、のちに上杉を離れて武田信玄と結んだ。このため、上杉軍に本拠松倉城を攻められて落城してしまった。
 のちに、康胤は上杉氏に帰参を請うたが、容れられなかったようで、天正四年謙信に討たれたと伝える。養子小太郎も、上杉御館の乱で景虎方についたため討たれ、椎名氏は滅亡した。

もっと読む


■参考略系図