塗り直した紋

 建武二年二月、足利軍を西国へ追い落とした新田義貞は、降参した敵兵一万騎を引き連れて都へ凱旋した。
 降参の兵たちは、それまで笠符に足利氏の紋である「二つ引両」を付けていたものを、その二本の筋の間の白い所を墨で塗りつぶし。新田氏の、横に太い一本の線を引いた「中黒」の紋に直してあった。
 しかし、にわかに墨を塗ったところがひどく目立っておかしかったのか、翌日、五条の辻に

 二筋の 中の白みを 塗り隠し
 新田新田(nitanita)しげな 笠符かな


という落首を記した高札が立ったという。


【左:二つ引両/右:一つ引両】