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社格と神階


 神社にいくと、そこには社名表示の石柱が立っていることが多い。そして、そこには「国幣中社」などの文字が彫られている。
 ここに挙げた国幣中社は、明治四年の太政官布告による社格の一つで、このとき、国家自らが経営する神社を官社、それ以外の神社を諸社と称することに定められた。そして、官社には官幣中大社・官幣中社・官幣小社・国幣大社・国幣中社・国幣小社の六つ、諸社には府社・藩社・県社・郷社・村社の五つが設けられた。明治六年んは官社のうちに新しく別格官幣社が加えられた。
 この官国幣社という語は、実は律令時代にはじまったものである。祈年祭に当たって神祇官から奉幣される神社を官幣社、国司から奉幣される神社を国幣社と称したのがそれで、両者を併せて官社と呼び、官社は神祇官の神名帳に記載されていた。
 一方、地方的に見ると、十世紀頃に諸国に一宮・二宮・三宮・四宮と呼ぶ社格の制が起こった。これはその国内の有力な神社を、国司が順拝する順位を示したものであった。同じ頃、国ごとの元締めの神社として名付けられたものに総社(惣社)がある。総社はここへお詣りすれば、その国中の神社をお詣りしたことになるとの信仰から生れた。
 神社の規模から大社・中社・小社に分かつことも古くから行われた。先ず、令制では、神階によって正三位以上を大社、従四位以上を中社、それ以下を小社としていた。
 神階というのは、祭神に奉られた位階で、人臣に授けられる位階と同じである。文献上、神階贈進の初見は天平神護二年(766)で、伊予国の伊曾乃神と大山積神とに従四位を授けたとあり、以後もしばしば見られる。そして、嘉祥四年(851)になると、全国の神社に一斉に正六位以上の神階が贈られた。
 神は人間界を超越するものと考える現代人の感覚からすると、廟堂に二位・三位の人たちがいるのに、四位以上の神があるのは、ちょっとおかしいが、古代人にとっては奇妙でも何でもなかったのである。
 神階の制は、明治以後はない。今日、「正一位稲荷大明神」などというのは歴史的な私称である。なお、神階には位階のほか、皇族に授けられる品位の一品・二品などという、功績に対して授けられる勲等の例もあった。
・写真:大和龍田神社にて




[資料:日本「神社」綜覧(新人物往来社)/家系(豊田武著:東京堂出版刊)/神社(岡田米夫著:東京堂出版刊)]