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祭 神
祭神とは、神社等の神道的宗教施設に祀られた神々をいう。従って、寺院内の鎮守社等に祀あれた神々をも含めて祭神という。
神社等に祀られた神々は、古くは、天神(アマツカミ)と地祇(クニツカミ)とに大別された。
『令義解』巻二によると、養老令の本文に「天神・地祇」とあるのに注釈を加えて、「天神」というのは、伊勢・山城の鴨・住吉・出雲国造の斎く神などのたぐいだとある。また「地祇」とは、大神・大倭・葛木の鴨・出雲大汝の神などのたぐいがこれだとある。
天神とは、伊勢の天照大神をはじめとする皇室関係の神々をさし、地祇とは、三輪の大国主の神をはじめとした皇室の畿内進出以前の土着系の神々をさすということになる。この土着系の神々を祀った場合に「祇社」、あるいは「国社」と呼ばれたと山城国・常陸国の『風土記』にみえる。とすれば、その反対語となるうのが「天社」「神社」であるが、この区別は歴史のなかに埋没し、天神・地祇いずれを祀る場合も神社と称している。
さきの『令義解』には、出雲大社の社家出雲国造家の祖神はアメノホヒノミコトで天神系であるが、土着系の地祇であるところのオオナムチの神を祖神自らが尊崇され、地祇系の神社となっている例など、単純に征服者が祀る神、被征服者が祀る神という区別では説明がつかない。
以上のよな原始期に源を発する祭神のほかに、「天皇」、「皇族」、「道真・将門・清麻呂・田村麿等の霊」、「織豊・徳川・武田・毛利・加藤・前田等の諸将」、「藩祖・藩主」、「建武中興の忠臣」、「勤王の志士」、「明治の元勲」、「明治以来の武勲の功臣」、「国学等の学者」など、種々の祭神が神社に祀られている。他にも、浦島太郎を祀る「宇良神社」、桃太郎を祀る「桃太郎神社」等もある。
従って、これら諸社に祀られた様々な性質の祭神の依り代となる物体、すなわち神体についても時と場合によって様々なものがみられる。
・写真:アメノヒボコを祀る但馬の一宮-出石神社
神 体
神体は、御霊代(ミタマシロ)・正体・御形(ミカタ)等とも呼ばれる。神は宇宙空間いたるところに存在し、目には見えないものとされている。そこで、神を礼拝しようとするものは、何らかの形のある一定の物件をしつしとし、そこに神が宿っているものとした。このしるしが、いわゆる神体である。
神体と呼ばれた初見は、平安後期の国語辞典である『伊呂波字類抄』で、ついで鎌倉中期の『釈日本紀』にその用例が見られる。正体は、鎌倉後期の『百練抄』に、御形は、平安初期の『皇大神宮儀式帳』にみられる用語である。
原始期の神体は、(1)自然の山、岩、木、森、井泉、瀧等で、続いて(2)鏡、剣、玉、鈴、鉾、弓等を依り代とするようになる。(1)についてみれば、大和の大神神社、信濃の諏訪神社、武蔵の金鑽神社、出羽の湯殿山神社など本殿を持たず山や岩を神体と仰ぐほか、神体が埋納されていると伝承して明治に至った、山との石上神宮では、その埋納の地を禁足地として信仰を伝えてきた。
石上神宮は、現在本殿が存在しているが、これは禁足地の発掘調査(明治七年)後のもので、大正二年に新たに営まれた。発掘によって
神が出土された以上、再び土中に戻すのではなく、本殿を構築して祭るべきと判断し、発生した変更である。同神社の神体は剣であるから、
(2)の段階に属している。
木を神体とする場合、その木の種類は、杉・松・桜・楠・椿・楢・槻などがあり、二股の杉の巨木に注連縄がほどこされている場合など
はその例である。なかでも杉は日本の代表的樹林をなすもので、伊勢神宮の杉の森も古来奥深く、内宮では千枝の杉、外宮では五百枝の杉と呼ばれた。
大和の大神神社、近江の建部大社など杉を神紋としている神社も多い。松は、山城の大原野神社の神木が知られ、北野神社の松も著名で、
神紋ともなっている。尾張の熱田神宮では霊木は三つとされ、「西門の外の松、南門の内の梅、およじ楠なり」と『熱田神宮問答雑録』にある。
紀州熊野神社では、梛が神木とされた。梛の木はその葉筋が縦に通っているので尊重され、保元物語その他に
「熊野の梛の葉」のことがしばしば見える。
泉や井戸を神体とする場合は、後に金属性の鏡を神体とする以前の水鏡の面影を伝えると同時に、元来、生命・生活維持の文字どおり源として地下水の湧出する所を木や石で囲み祭った古い形態を伝えたものである。加賀の出水神社、大和・出雲・美濃にある御井神社等が挙げられる。
神体としては、(2)の例が最も多く、八咫鏡を神体とする伊勢神宮、草薙の剣を神体とする熱田神宮が有名な神社である。
(2)の範疇では、釜・稲・衣・榊・神像、祭神生前所持の遺品など、時代の変遷とともに、様々な神体が発生していった。
・写真:大神神社の神体山-三輪山 /紋:神紋-三本杉
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