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神社に因む家紋


 家紋は、平安時代に公卿が自家の牛車に付けた文様から始まったとするのが定説である。以後、公家はもとより、武家の間にも家紋は広がっていた。家紋の意匠を見ると、そこには単純な模様ではなく、様々な意味が込められていることが見て取れる。それは、家を象徴するものだけに、先祖の功を顕彰したもの、神の加護を願ったものなど、家紋に込められた意味はさまざまである。
 なかでも、信仰に因んだものが多い。すなわち、信仰する神社の紋を用いて、そこから神威を得ようとしたものである。さらに、神社の構造物である「鳥居」「瑞垣」をはじめとして、神事に関係する「柏」「折敷」、神社の紋である「鷹の羽」「巴」「亀甲」「葵」など、神社に因む意匠を多くの家が家紋として使用している。では、それぞれの家紋と神社との関係とは、そして意味とは、どのようなものなのだろうか。
・京都石清水八幡宮の巴紋


●鳥居紋のあれこれ
紋 紋 紋
・鳥居 鳥居垣に巴 鳥居に対い鳩

紋
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 巴とは水が渦巻いている様子を形にしたもので、いわゆる渦巻である。古代の宝器である勾玉が巴形であることから、神霊のシンボルとして神社などが巴紋を用いるようになった。
 特に、武神とされる八幡社に多いが、他の神社でも巴紋を神紋にしている例も多い。このように巴紋は神社の紋として用いられたことから、神社関係の家が紋として使用しだした。その代表的なものとして、下野国二荒山神社に奉仕した宇都宮氏が挙げられる。宇都宮氏からは、八田・笠間・塩谷・茂木・武茂などの庶子家が分かれ、いずれも巴紋を用いている。
・三つ巴

紋 紋 亀甲
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 亀は鶴と並び称されて「鶴は千年、亀は万年」などと、長寿のシンボルとして尊ばれた。また、亀は易学においては「玄武」とされ、北方を鎮護する霊獣としても尊重された。
 亀甲紋では、出雲大社の「亀甲に剣花菱」が有名で、これは、出雲大社が北方を鎮護する使命を帯びていたことから、玄武すなわち亀を神紋としたのである。さらに亀甲紋は、多くの神社が神紋として用いており、厳島神社が「三つ亀甲に剣花菱」、櫛田神社が「三つ亀甲に五三桐」を用い、常陸の香取神宮も亀甲紋であった。そして、亀甲紋を使用する神社の神官や有力氏子などが亀甲紋を用いだし、世に広まっていった。
・亀甲に唐花 /亀甲に花菱

紋
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 古代、柏の柔らかく弾力があり、その適度な大きさから、食物を盛る器として用いられた。そして、神に供物を捧げる際の器としても使用された。いまでも、「柏手を打つ」ということばが使われ、神意を呼び覚ますことをいう。
 このことから、やがて神社の紋となり、神事に奉仕する神官や有力氏子などが家紋として用いるようになった。伊勢の久志本氏は皇大神宮に奉仕し、尾張の千秋氏は熱田大宮司として奉仕をした。筑前の宗像氏、吉田神社の卜部氏等神官に柏紋が多い。また、備前吉備津神社宮司の大守氏は、庵に柏という珍しい紋を使用している。
・抱き柏

紋
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 梶の木は神聖な木とされ、神社の境内に植えられていることが多い。また、神事に用いられたり、供え物の敷物に使われたりした。さらに和紙の原料にも用いられた。それが、神社の紋となり、神官はもとよりその神社に奉仕する家々が家紋として使用するようになった。
 神紋としては信州の諏訪神社の「梶の葉」が有名である。諏訪神社の神官は、建御名方命の後裔で、諏訪国造の流れを汲む諏訪下社の金刺氏であり、上社の諏訪氏であった。また、諏訪党を総称して神氏とも称されている。神氏からは、多くの庶子家が分かれた。手塚・有賀・保科・上原・藤沢などの家がそれである。そして、これら庶子家の家紋は「梶の葉」であった。
・梶の葉

紋 折敷
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 折敷とは三方のことである。三方とは神樣に食物などを供える白木の台で、三方に孔が空いていることからそのように呼ばれるようになったという。三方を上部から見ると、四角または八角形をしている。折敷は神社に多く供したことから、折敷の形が間接的に神を表すようにもなった。このことから神紋として用いられるようになり、それが、やがて神官・神社の氏子、さらに神社の信仰者などが家紋として用い出した。
 折敷紋を用いる神社として最も代表的なのが、伊予国大三島に鎮座する大三島神社(オオヤマヅミ神社とも称される)の「折敷に三文字」紋である。伊予国の国造であった越智氏は大三島神社を氏神として尊び、その神紋を家の紋として用いた。そして、越智字から分かれた一族も「折敷に三文字」紋を家紋とした。著名なものとしては河野氏が挙げられる。
・折敷に縮み三文字

紋 鷹の羽
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 鷹の羽は、古来武人の象徴とされてきた。たとえば元日の節会や御即位の式などには、左右近衛の両陣に鷹の羽を掲げたといわれる。中国においては、武人は冠に鷹の羽をさすことが慣わしともされていた。鷹は俊敏で、その姿は数いる鳥のなかでも群を抜いて誇りに満ちた姿であったことから、武士の間で尊ばれた。
 肥後国の菊池氏は阿蘇神社の氏子で、阿蘇神社の神紋である「鷹の羽」を紋として用いたようだ。もちろん、阿蘇神社の神官である阿蘇氏も鷹の羽紋を用いていた。
・違い鷹の羽

紋
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 鳩は武神である八幡大菩薩の神使として、中世より武士に尊ばれていた。鳩紋を見ると、二羽の鳩が向き合った「対い鳩」が多い。これは八幡神の八を表したものとされ、後世「八」の字の紋も生まれている。いずれも八幡を表したものであることには違いない。また鳩に鳥居とか寓生とか蔦とかを添えたものも多い。いずれも神社に関係のあるもので、神官の宮崎氏は鳥居に鳩を紋としていた。
 また、紀州の熊野神社の神使である「烏」を家紋とする家もある。
・対い鳩 /熊野烏

 その他、神社の「額」、「千木」、「鈴」、「御弊」、「御簾」等など、神社に関係した家紋は数多くある。珍しいところでは「石畳」という紋がある。これは、神社などにある敷石のことで、昔は、現代のような舗装技術がなかったことから、多くの参詣者の難儀を軽減するために、石を用いた。これが、やがて神社を表現する意味を持つようになり、家紋となったものである。一見「石持」に似ているが、その意味はまったく違うことはいうまでもない。


●神社に因む家紋あれこれ

紋 紋 紋 紋
・神額に二八文字 千木 丸の内に鈴 立ち葵

紋 紋 紋 紋
・丸の内に御弊 丸の内に御簾 丸の内に四つ石 丸の内に玉垣

 「神額に二八文字」は、小出氏の代表紋である。中の文字は二八−十六、つまり敵の首十六をあげたことに因むという。しかし、これは創作が過ぎるようで、恐らくは二十八宿に拠るものと考えられる。
 「立ち葵」は本多氏が用いた。賀茂信仰からきたもので、本多氏は本来「三つ葉葵」であったものを徳川家をはばかって立ち葵紋にしたという。しかし、三つ葉葵が巴状になっているのに対し、立ち葵の方が賀茂社の神紋をより忠実に表現しているようだ。
 「石」紋は、四つ石は梶原氏が、三つ石は高梨氏が用いたことが知られる。「玉垣」は、大岡越前守を出した大岡氏が用いた。大岡氏は三河の大岡名神の神職の一族であたことから、玉垣紋を用いたといわれる。このように、神社に因む紋は、神職から出た家、その神社を信仰する氏子などに用いられて世に広まり、いまに家紋として伝わっているのである。




[資料:日本「神社」綜覧(新人物往来社)/家系(豊田武著:東京堂出版刊)/神社(岡田米夫著:東京堂出版刊)]