家紋 海神社

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津守(笠嶋)氏


 紀伊国牟婁郡に鎮座し、祭神は豊玉彦命、国津姫命である。
 豊玉彦命は古くは熊野に祀られていたが、忌部宿彌の子孫の夢に現れ、「我に仕えよ」との宣託があった。さらに、山あいに神鏡があらわれ輝いたのでこれを祀ったと伝えられている。 一方、国津姫命は和泉の海中に出現し、ここに遷座したと言われる。
 この山深い地に船の神が祀られているのは不思議な感を抱かせるが、 山の神や木の神は、すなわち船の神となるからである。
 紀伊国は昔から木材の生産地であり、それは船の建材としても用いられたことはいうまでもない。同じ紀伊国にある伊太祁曽神社の五十猛命は木の神であり、浮き宝(船)の神である。同じく三船神社の祭神が木玉屋船命であり、船材の木を船玉として祀っている事からも、木と船の関係が推測できるのである。
 海神社に奉仕した神職は、振魂命の後裔であったと伝えられ、 田裳見宿禰の子らは津守連の姓を賜った。そして、豊吾田の子孫が摂津国住吉大社の社家津守氏の祖となり、弟にあたる屋主の子孫が海神社の祠官になったといわれる。
 すなわち、屋主の子孫にあたる豊継が海神社の祝となり、代々、海神社の神職を奉斎した。邦久に至って笠嶋大夫を称したことが系図にみえ、以後、笠嶋を苗字にしたようだ。

【輪の内五三の桐】


■社家津守(笠嶋)氏参考系図
   




[資料:日本史小百科「神社」岡田米夫氏著/国史大辞典ほか]