家紋 玉若酢神社

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意岐・隠岐氏



 隠岐国は、主な島大小四つから成り、狭い土地ながらも神社が多く、『延喜式』の神名帳には大社四、小社十一が登録されている。大社はともに名神大社で、知夫郡に由良比女神社、海部郡に宇受加命神社、隠地郡に水若酢命神社・伊勢命神社とあり、延喜以前にいずれも官社に列した。
 水若酢神社は水若酢命を祭り、のち中言神・鈴御前神を配祀した。水若酢は水の湧き出る意の水神と考えられる。中世に隠岐国の一宮となった。明治になって国弊中社、旧暦一月五日に和布刈神事が行われる。

隠岐国─名神大社の神紋

水若酢神社 由良比女神社 宇受加命神社 伊勢命神社

 小社十一のうちに玉若酢神社がある。玉若酢命を祭り、周吉郡の条にあり、隠岐国造が奉斎した神社である。ところが国造の本拠は、実は初め隠岐国府の式内社和気能須命神社であったらしく、それが隠岐国の総社とされていたのを、いつしか玉若酢神社が総社と呼ばれるようになった。明治以後は県社となった。境内の八百杉は県か随一の巨木で、天然記念物に指定されている。
 隠岐国造は、大国主命の後裔を称し、十拶彦のとき隠岐国造となった。意岐、億岐、億伎とも書かれる。系図を見ると、江戸時代の文化十年に京で没した幸生から明治の最初の有尚までの四代が「隠岐臣」を称しているが、実際は国造家の本姓は詳らかではない。が、おそらく国造を姓としたものと考えられている。それを近世に至って、古代氏姓にならって、臣姓を名乗ったものだるようだ。
 また、初代国造となった十拶彦以降の歴代も、明確でない部分が多いが、古代から隠岐国にあって、 玉若酢神社の神職を務めてきた。有名な隠伎倉印と駅鈴は、祠官億伎氏の家宝である。
【五七の桐】


■社家隠岐氏参考系図
   

[資料:日本史小百科「神社」岡田米夫氏著/国史大辞典ほか]