有馬神社は、天御中主大神・大巳貴大神・少彦名大神・事代主大神を祀り、『延喜式』「神名帳」に記された古社である。
その由緒はといえば、むかし摂津国山口庄名来村(現在の西宮市山口町名来)で創建され、舒明・孝徳両天皇が有馬に行幸されたとき、
再三にわたって参拝され、八十三束の圭田を賜るなど皇室との縁が深かった。霊亀年間(715ごろ)に有馬川が氾濫して境内地が流したため、御神託により現在地に遷座された。古くは摂津国有馬郡一宮有馬惣社と称され、旧有馬郡十六ヶ村の総氏神として崇敬を集めた。
天正年間(1570年代)、羽柴秀吉が三木城別所氏を攻めたとき、当時の宮司武田光綱が別所氏と姻戚であったため兵火に罹った。
その後、元和八年(1622)および寛政六年(1794)にも炎焼し、寛政八年に再建されたのが現在の本殿である。
有馬神社の境内には、かつて山王神宮寺があり、山王権現としては有馬屈指の名刹であった。しかし、明治の神仏分離令により廃寺となった。
拝殿前の有馬社の社号石は、元文元年(1736)、当時寺社奉行であった大岡越前守の命により、当時摂津国の由緒ある式内社の中で
神社名が謝り伝えられていた二十社に建てられたものの一つという。また、石段を登りつめたところに建っている黒木の鳥居は、孝明天皇の
御即位のときの大嘗祭に使用されたものを宮中から払い下げを受けたものが朽ちたため、人造のものに再建したものである。
有馬神社の社叢は二万八千平方メートルあり、そのうちの約七千uには椎の木が群生し、自然にリサイクルしている様子が珍しく
貴重なものとして平成十一年に神戸市指定天然記念物に指定されている。
【境内説明板・神社の栞より】
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