摂津国-難波神社




中世、摂津国の総社であった古社、文楽発祥の地としても知られる。


難波神社
 
正面の鳥居 ・ マンションに囲まれた境内 ・ 博労稲荷神社 ・ 稲荷神社に詣でる ・ でんぐり返った神狐

 
境内に祀られた摂社 ・ 文楽座跡の石碑 ・ 境内の神紋 :手水場の瓦 /賽銭箱 /社殿の扉 …微妙に違う
 

第十八代反正天皇が、河内国丹比に遷都されたとき、父帝の仁徳天皇を御祭神として創建されたと伝えられる。平安時代の天慶六年(943)朱雀天皇の命により大江の坂平野(天王寺区上本町あたり)に遷座、難波大宮と称して摂津国総社であったた。時代が下って桃山時代に豊臣秀吉が大坂城を築いたのち、慶長二年(1597)現在地に遷座した。明治八年(1875)に難波神社と改称、府社に列せられた。太平洋戦争も末期の昭和二十年(1945)三月十四日、大阪空襲により社殿など全焼、その後は仮宮によっていたが、昭和四十九年に再建されて現在に至っている。

難波神社と文楽

江戸時代後期の文化八年(1811)、初代植村文楽軒が境内に人形浄瑠璃の小屋を開いた。その後、一時移転したが、安政八年(1856)ふたたび復帰したころから「文楽軒の芝居」と呼ばれるようになり文楽の名の起こりとなった。明治五年(1872)、三世文楽軒のときに新開地の九条に移ったが、同十七年に三味線の二代目豊沢団平を擁する「彦六座」が当社北門に開場して人気を集めたため、文楽軒も近くの御霊神社境内に小屋を移して対立した。彦六座は明治三十一年に団平が舞台で倒れたため解散、小屋は稲荷座として色々な興行に利用されたが、同四十五年に取り壊された。
[境内案内板の由緒書]


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