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●鳥居 ●神仏混交時代を偲ばせる見事な楼門 ●神門 ●勅使門を見る ●三重塔址の礎石
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●市指定文化財の勅使門 ●拝殿を見上げる ●拝殿前の立砂 ●摂社 ●厳島神社
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●楼門の彫刻 ●社殿の木瓜紋 ●境内御堂の木瓜紋 ●楼門前石灯籠の梅鉢紋 ●勅使門前石灯籠の九曜紋
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赤淵神社の祭神は、大海龍王神、赤渕足尼神、表米宿彌神の三神です。赤渕足尼命は表米宿彌命の祖神です。
神社略記によると大化元年(六四五)、表米宿彌命が丹後、白糸の浜に来襲した新羅の賊を討伐した際、 沈没しかけた命の船が、海中から浮かび上がった無数のアワビに助けられたので、命はそのアワビを持ち帰り、 赤淵神社に祭ったとされています。大海龍王は海神で、アワビを使い難を救う神であるといわれています。 その後、赤淵神社の祭礼にはアワビの神事が行われ、近隣では今でもアワビを食べない風習が残っています。 赤淵神社本殿 本殿は、室町時代初期に建てられたもので三間社流造、こけら葺、桁行4.8m、梁間3.1m正面と両側面に高欄付縁をめぐらせている。 身舎内部は内陣と外陣に分かれ、正面に格子をはめ、中央には階段を設けている。再三改修のあとはあるが、蟇股、懸魚、妻窓などに当時の建築様式を残している。昭和四十五年六月、国の重要文化財に指定された。 楼門 かつて赤淵神社の神宮寺であった神淵寺の山門であった。創建年は不詳、現在の門は文政十三年(1830)に再建されたもの。二階に高欄をめぐらし、内部にはかつて大般若経が納められていた。随所に見られる彫刻は、丹波柏原の彫刻師中井権次によるものである。この門をくぐると除疫福徳の効があると伝えられている。 勅使門 勅使門は、勅使が神社に参向の際に用いられたものである。 創建年不詳。元禄七年(1694)に、八木城主八木勘十郎宗織が大願主となって再建し、寛政九年(1797)に修理したと伝える。現在の門は、寛政十一年(1799)に多数の喜捨によって再建されたもの。但馬地方では数少ない江戸中期の建物である。 円形の丸柱に、前後2本ずつの控柱を立てた四脚門方式で、材質は欅が使用されており、切妻造、桟瓦葺である。扉の上部に見られる鳳凰の透し彫りや、木鼻、蟇股などの見事な彫刻は、丹波柏原の彫刻師中井丈五郎、久須善兵衛によるものである。 【神社境内の案内板より転載】 |