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丹波国篠山市から京都に抜ける「篠山街道」、その篠山市の東端に「波々伯部神社」は鎮座している。その創建は白鳳六年(680)という古社で、本地薬師如来が勧請し、のちに牛頭天王を祀ったことに始まるという。そういう意味では、その成り立ちは神社というより寺に近いものであったようだ。 神社で購入(一部200円)したパンフレットの略年表によれば、吉備真備や多田満仲が波々伯部神社と縁りのあったことが記されている。さらに、堀河天皇が波々伯部村を京都の祇園社(八坂神社)に寄進したことで波々伯部神社に祇園社の分霊を祀り、以後、祇園さんになり、明治維新を契機に社名を「八坂神社」に変え、祭神も素戔鳴尊になったのだという。もっとも社名は、その後の明治十八年「波々伯部神社」に戻している。 加えて、戦国時代には明智光秀の波多野氏攻めのとばっちりを受けて、社殿は焼失、豊臣秀勝によって再建された。古代から中世、近世へと長い歴史を刻んできた神社、それが、この「波々伯部神社」だ。 ●森に包まれた本殿/●鳥居/●本殿 |
室町時代、「波々伯部神社」のある波々伯部村の領主は波々伯部氏で、その家紋が「見聞諸家紋」に見え「松喰い対い鶴」であった。「波々伯部神社」の神紋も松喰い対い鶴で、波々伯部氏が神紋を自らの家紋としたのか、神社が領主の家紋を神紋にしたのかは神主さんが「田植え」で不在とのことで聞けなかったのが残念だった。また、八坂神社の紋である「木瓜」「巴」紋も神紋として用いており紋から神社の歴史が分かったのも楽しかった。 鳥居は道路に面して立ち、そこから本殿までは両側に大杉を見ながら長い参道を歩く。田舎の古社だが、 なかなかの格式を感じさせる神社だ。また、鳥居の横を見ると、篠山街道の一里塚の碑があり、昔の旅人が 篠山から京都、京都から篠山に歩いて行き交った時代を偲ばせている。 ●幕に据えられた神紋/●参道/●一里塚の碑 ・関連ページにリンク… 波々伯部神社と日置の一里塚/ 波々伯部神社の祇園祭 |