摂津国-坐摩神社




摂津国西成郡唯一の式内大社で、往古、難波大社とも呼ばれた。渡辺姓発祥の地としても知られる。


坐摩神社
 
●ビジネス街の一角に鳥居が ●社殿はコンクリート製だが、厳粛な空気は感じられる

 
●早咲きの桜越しに社殿を見る ●枝垂れ桜越しに摂社群 ●大江神社 ●摂社-大国主神社 ●東方より見た摂社群

 
●拝殿横手の樹林に狛犬が一頭 ●神紋-白鷺を境内の各所に見る
坐摩神社は大阪の中心街船場のビジネス街の一角に鎮座している。社名は「ザマ」と通称されることが多いが、 「いかすり」と訓むのが正しい。「いかすり」とは土地または居住地を守ることを意味する居所知(いかしり)が転じたものという。 そのはじまりは、新羅より帰還の折に「白鷺の多く集まる地に坐摩神を奉斎するように」との神託を受けた 神功皇后が、淀川南岸の大江、田蓑島の渡辺の地に奉祀されたのを始まりと伝えられる。神紋の白鷺は 皇后の受けた神託によるものである。一方、。『古語拾遺』等によれば、神武天皇の御代、 神勅によって宮中に奉斎されたとある。いずれにしろ、その創祀に関しては神話の世界のことである。
天正十年(1582)、豊臣秀吉の大阪築城に際して替地を命じられ、寛政年間に現在鎮座する船場に遷座した。 宮司の渡辺氏は都下国造の末裔がつとめたが、平安時代、嵯峨天皇の末裔を称する渡辺党と混交、 全国の渡辺姓発祥の地ともなっている。また、社前において多くの物売りや見世物で賑わい、 とくに古着屋が多く「坐摩の古手屋」と呼ばれた。のちに船場が繊維の町として発展する要因の一つだと いわれる。


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