●拝殿横手の樹林に狛犬が一頭 ●神紋-白鷺を境内の各所に見る
坐摩神社は大阪の中心街船場のビジネス街の一角に鎮座している。社名は「ザマ」と通称されることが多いが、
「いかすり」と訓むのが正しい。「いかすり」とは土地または居住地を守ることを意味する居所知(いかしり)が転じたものという。
そのはじまりは、新羅より帰還の折に「白鷺の多く集まる地に坐摩神を奉斎するように」との神託を受けた
神功皇后が、淀川南岸の大江、田蓑島の渡辺の地に奉祀されたのを始まりと伝えられる。神紋の白鷺は
皇后の受けた神託によるものである。一方、。『古語拾遺』等によれば、神武天皇の御代、
神勅によって宮中に奉斎されたとある。いずれにしろ、その創祀に関しては神話の世界のことである。
天正十年(1582)、豊臣秀吉の大阪築城に際して替地を命じられ、寛政年間に現在鎮座する船場に遷座した。
宮司の渡辺氏は都下国造の末裔がつとめたが、平安時代、嵯峨天皇の末裔を称する渡辺党と混交、
全国の渡辺姓発祥の地ともなっている。また、社前において多くの物売りや見世物で賑わい、
とくに古着屋が多く「坐摩の古手屋」と呼ばれた。のちに船場が繊維の町として発展する要因の一つだと
いわれる。
|