摂津国-生田大社




神戸の地名発祥の氏神で、源平合戦においては生田の森が平家の東木戸口となった。


生田大社
 
●銅製鳥居 ●朱の楼門 ●楼門の提灯に菊紋 ●神額の下方に神紋-八重桜 ●手水舎の水盤に八重桜

 
●偶々布かれた赤絨毯と拝殿 ●賽銭箱の神紋 ●灯籠にも神紋 ●蛭子神社 ●戸隠神社 ●生田弁天社

●幽玄な雰囲気-生田の森 ●生田森坐神社 ●本殿裏の玉垣に据えられた神紋 ●稲荷社 ●奉納された菰樽群
生田神社が祀る稚日女尊は稚く瑞々しい日の女神様で、伊勢神宮に祀られている天照皇大神の幼名ともいわれる。 創祀は西暦201年という古い時代で、三韓外征より凱旋帰途の神功皇后の船が 神戸において進まなくなったため神占を行った、すると稚日女尊が現れ 「吾は活田長峡国に居らむと海上五十狭茅に命じて生田の地に祭らしめ」と神託があった。そこで、生田川の上流にある 砂山(布引山)に稚日女尊を祀り鎮めたのだと『日本書記』に記されている。
延暦十八年(799)大洪水が起こり、砂山が崩壊するおそれがあったため現在地の生田の森に遷座された。 鎮座に際して朝廷より神地神戸(カンベ)を賜り、大同元年(806)、平城天皇は「生田の神封四十四戸」を賜ったという。 現在の神戸市中央区一帯が社領であった所から(かんべ)、中世には紺戸(こんべ)、近年に神戸(こうべ)と 呼ばれるようになった。貞観元年(859)、神階は従一位を授けられ、延喜式神名帳には「摂津国八部郡 生田神社」と 記載されて名神大社に列する格式の高い神社だ。 本殿後方に残る生田の森はいまも鬱蒼と樹木が茂っていて、神戸の繁華街すぐのところにいることを忘れさせてくれる。 また、生田の森は源平一の谷合戦のとき、平知盛を将軍とする平家軍が源氏の源範頼軍を迎え撃ったところで、 いまもゆかりの「箙の梅」「梶原の井」「弁慶の竹」などが残っている。
毎年一月、オリックスブルーウェーブやヴィッセル神戸など地元にゆかりのある野球・サッカーチームが 必勝祈願に参拝し、イチロー選手をはじめ多くのスポーツ選手がその年の活躍と健康を願って参拝するなど 有名人からも篤い信仰が寄せられている。 また、縁結びの神としても人気を集め、近年、吉本興業の某芸人が某女優と神前結婚を挙げて注目を集めたが、 呆気なく離婚、生田神社にすれば御利益のほどを疑われる痛い結果となったのではなろうか。 (20090426)


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