中世、柏原の町は柏原荘の中心で、一帯は京石清水八幡宮領であった。万寿元年(1024)、石清水八幡宮の柏原別宮として建立されたのが柏原八幡宮の初めである。祭神は誉田別命(応神天皇)、息長足姫命(神巧皇后)、姫三柱之命。 境内摂社に厄除・住吉・春日・香良・八坂・西宮の諸社が祀られており、
なかでも厄除神社は丹波の厄神さんとして有名なもので毎年二月17・18日の例祭は多くの人出で賑わっている。
戦国時代の天正七年(1579)、明智光秀の丹波攻めの兵火によって一山焼失してしまった。その後、羽柴秀吉の命によって堀尾吉晴が奉行となり再建、本殿は国の重要文化財に指定されている。本殿後方に見える朱塗の三重塔は神仏習合時代の名残をとどめる歴史的建造物で、神社境内に塔があるのは全国で十八例のみという貴重なものだ。三重塔手前にある鐘楼は厄除けの鐘として知られ、銅鐘は豊臣秀吉が大砲を鋳造するために集めた材料からつくられたものの一つと伝えられている。
また。拝殿前の狛犬は、丹波の名人石工丹波佐吉の作である。
江戸時代、柏原は織田氏の城下町として続き、八幡宮の近くには織田氏の陣屋跡、織田信勝を祭神とする織田神社、いまは廃寺となってしまったが織田家の菩提寺徳源寺など織田氏ゆかりの史跡が点在している。加えて、八幡宮が鎮座する八幡山はひょうごの森百選やひょうご風景百選にも選ばれ、
光秀に抗した丹波勢が築いた戦国山城が残っている。
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