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●重厚な佇まいの表門 ●表門の提灯に神紋-菊水 ●参道の鳥居 ●コンクリート造の拝殿 |
●楠本稲荷神社 ●大楠公戦死の地 ●東門 ●塀の軒丸瓦の菊水紋
湊川神社は後醍醐天皇に忠節を尽くした楠木正成(大楠公)を祀る神社で、鎮座地は延元元年(1336)に 足利尊氏と戦い殉節を遂げたところである。正成の死後、その塚は地元の人々によって大切に守られ、 天下をとった豊臣秀吉は検地に際して免租地としている。江戸時代のはじめに尼崎藩主青山幸利が五輪塔を建立、 元禄五年(1692)水戸黄門で知られる水戸藩主徳川光圀が墓所を建立したのち多くの人々が正成の墓前にお参りして 大楠公の遺徳をたたえた。 幕末になると多くの勤皇の志士が大楠公の墓に詣で国事に奔走した。明治維新がなった明治元年(1868)、 明治天皇は大楠公を千載の一人、臣子の亀鑑として鎮祭すべき旨をおおせだされ、当時のお金で千両という大金を下さ れた。かくして、墓所・殉節地を境内地と定め、明治五年に湊川神社は創建されたのであった。いささか、 軍国主義の臭いがしないでもないが、名将楠木正成最期の地が大切に保存されているのだと思えば ゆかしいことではある。(20090426) |