但馬国-中嶋神社




天を突く朱の鳥居が印象的、お菓子の祖−田道間守命を祀る古社。


中嶋神社
 
●神社石標 ●紅葉が美しい境内 ●祭神−田道間守命の石標 ●拝殿を見る ●社殿を横から

 
●摂社群−稲荷神社 ・ 聖神社/大森神社 ・ 若宮神社 ・ 皇大神宮/豊受大神宮 ●参道に植えられた田道間守命ゆかりの橘

 
●社名の由来となった垂仁天皇陵横の田道間守命の陪塚 ●境内のあちこちに神紋が ●お菓子メーカーから寄進された長椅子
 
当神社の創立は甚だ古く、約千三百年前の第三十三代推古天皇(在位592〜628)の御代と言われ、現在の朱塗りの本殿は、 今より約六百年前の室町時代中期、正長元年(1428)に、但馬の領主山名氏により建立されたもので明治四十五年国宝 (戦後は重要文化財)に指定されております。
御祭神の田道間守命は韓国、昔の新羅の王子で、我が国に渡来して帰化し、ここ但馬の国を賜り、これを開発した天日槍命(旧国幣中社但馬一の宮出石神社の祭神)の曾孫で、第十一代垂仁天皇の命を受け、当時の菓子としては最高のものとして珍重せられた「非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)」(橘…みかんの一種)を常世の国(現在の韓国済州島と言われている)に渡り長い歳月をかけ、艱難辛苦のすえ持ち帰りましたが、天皇は既に亡くなっており、命は悲嘆の余り、その御陵に「ときじくのかぐのこのみ」を献げた上、殉死されました。
ときの景行天皇(垂仁天皇の第三皇子)は、命の忠誠心を哀れみ、御陵の池の中に墓を造らせられましたが、推古天皇の御代になって、命の子孫で七代目の孫にあたる当地三宅に住む吉士中嶋の君と言う方が当社を創立し、命を祭られたと伝えられております。
中嶋神社の名は、御陵の中の命の墓が、中の島に見えるところから名付けられたと言われ、いのちをかけて「ときじくのかぐのこのみ」を持ち帰った命を、菓子の神様として祭るようになり毎年四月の第三日曜日を、橘菓祭(菓子祭)とし、全国より菓子業者の参拝もあり、招福・家業発展を祈願して、盛大に祭典が行われます。

【『菓祖 中嶋神社由緒』転載】

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