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大山祇神社とはいうが、もともとは開明山田大神社と呼ばれていたものを明治維新ののちに
大山祇と称するようになったものである。大山祇神社は大山積神を祀る瀬戸内海の大三島に鎮座する大社
として知られるが、当社の祭神は産神金峰蔵王権現と祗園牛頭天王、熊野三所権現、さらに豊浦大神と
河内大神で、河内大神は楠正成のことという。まったく大三島の大山祇神社との関係はなく、
なんともややこしい神社名に変えたものだ。 大河内一帯は、藤原純索が当社を建立した当時は湯原村と呼ばれていたが、楠正成が湊川で戦死したのち、 その子(弟とも)正末は湯原村へ来往、河内にちなんで大河内村に改めたという。現在、国の重要文化財に 指定されている本殿は、室町時代、正末の後裔にあたる郷士下村義親、田井義高が本殿を再建したものだ。 こけら葺の一間社流造で、覆屋の御蔭もあって保存状態はきわめて良好で、建築当時の姿をよく伝えている。 ●社殿へ ●朱塗りの本殿 ●桧皮葺を見る ●覆屋の一角に巴紋が |
●覆屋を後方から見る ●物寂びた静寂が包む境内 ●神社方向を振り返る
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