摂津国-酒垂神社




流行病に霊験あらたかな "酒たれ伝説" の信仰をいまに伝える古社


酒垂神社
 
県下最古という石鳥居 ・ 随身門 ・ 随身門に掛かる算額(複製) ・ 立派な石垣 ・ 城郭を思わせる佇まい

 
社殿前の二の鳥居 ・ 北方より社殿を見る ・ 社殿傍らの宝篋御陀羅尼塔 ・ 神社裏−虚空蔵山中腹の虚空蔵堂 ・ 虚空蔵山から藍本方面を眺望
 

貞観年間(860ごろ)、国内で悪疫が蔓延したとき、「われは素戔鳴尊なり」という一童子のお告げで 山へ登った村人が、天然の霊窟から垂れ出る酒を発見した。これを飲んだ人たちはたちまちのうちに 病が癒えたため神まつりをし、岩山大明神として崇拝した。それから約百五十年後の長暦二年(1038)春、 またもや悪疫が大流行した。ときの後朱雀天皇は痛く心を悩まされていたところ、 ある夜夢枕に仙人があらわれて、ここの霊水を奨めた。早速、都に取り寄せ病人たちに飲ませたところ、 さしもの流行病いも治ってしまった。かくして霊験あらたかな神をまつる社号を「酒垂神社と改めよ」と 仰せられ、神領を寄進されたという。これが、酒垂神社の縁起である。
在銘石製鳥居で県指定の重要文化財。また、随身門に掛かっている算額は、藍本住人で 近世和算の碩学下垣内市左衛門が文化八年(1811)に奉納したもので、三田市指定の文化財となっている。 神社前の通りはむかしから丹波路の主要街道で、近世は藍新町宿場として賑わった。神社後方に聳える 虚空蔵山は、ハイキングコースが整備され、頂上からは摂津・丹波・播磨を見渡せる絶好の地である。 また中腹には、山名の由来ともなった十三詣りで知られる日本三体随一の虚空蔵を祀るお堂が立っている。
[境内案内板の由緒書 など]
・神紋の「三つ巴」は社殿に据えられていたものによった。素戔鳴尊を祀る神社として「五葉木瓜」の可能性もある。


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