山城国-下御霊神社




京都市内に数ある御霊神社のうちで、その特異な社殿構成をよく伝えた古社。


下御霊神社
 
道路を隔てて下御霊神社を見る ・ 朱塗りの鳥居 ・ 寛政十年造営の拝殿 ・ 拝殿を飾る提灯に描かれた神紋

 
拝所を見る ・ 本殿に参拝 ・ 境内摂社 - 天満宮 ・ 境内摂社 - 稲荷神社

 
弁財天社の三つ鱗紋 ・ 褪せた朱が寂しい神紋 ・ 神社前の横井小楠殉難碑 ・  神社正面の路地奥に昔懐かしい銭湯の暖簾
 

奈良時代から平安時代にかけて冤罪を蒙り怨みを残して悶死した人々の霊魂、つまり怨霊を恐れる思想が広まった。御霊神社はそれらの怨霊が神となった御霊を祀った神社で、 上御霊神社に対して南にあったことから下御霊社と呼ばれた。
社伝によれば、当初は、出雲氏一族の居住地にあった下出雲寺の鎮守社に大和国宇智郡の霊安寺御霊社に祀られていた伊予親王(桓武天皇の第三皇子)とその母の藤原吉子の怨霊をなだめるため、承和六年(839) に祀ったのが始まりといわれている。のちに早良天皇(崇道天皇)、 藤原広嗣、橘逸勢、文屋宮田麻呂、吉備真備、火雷天神を加えた八柱の御霊を祀ったことから八所御霊ともいわれる。
古来、上御霊神社とともに京都御所の産土神として崇敬を受けた。とくに霊元天皇が篤く崇敬され、遺詔によって下社の相殿に祭られた。現在の本殿は、江戸時代の天明八年(1788)に仮皇居の聖護院宮において 造営された内侍所仮殿を寛政三年(1791)に移築したもので、表門は建礼門を移築したと伝える。


探視トップページへ