摂津国-塩田八幡神社




在原行平、宗尊将軍らにちなんだ風雅な伝承に彩られた八幡宮


塩田八幡神社
 
境内 ・ 厳島神社(月見神社) ・ 朱塗りの鳥居 ・ 社殿を拝す ・ 拝殿に据えられた神紋−巴

 
樹齢五百年を数える御神木(右ヒノキ/左ヤマモモ) ・ 摂社:水神社 ・ 石清水祠 ・ 仲哀天皇を祀る剣御前社  ・ 摂社:高良神社と稲荷神社
 

創建年代は不詳だが、かつて塩田庄と総称される以前の創建で、すでに大同年間(800ごろ)には御年神を 祀る大歳神社として存在していようだ。その後、山城国石清水八幡宮より応神天皇・神功皇后・玉依姫の 御霊を勧請合祀するにいたり、石清水八幡宮の別宮として(塩田)八幡宮と称号するようになった。 平安時代の仁和・寛平年間(890ごろ)、播磨守であった在原行平卿が詣でたことが『摂陽群談』にみえる。また、 鳥羽天皇の御代、美濃局の荘園から土室園・磐若田・燈明田・御供田・西山などを寄進された。 保元八年(1158)、石清水八幡宮宿院極楽寺領の荘園となり、 その管理下におかれて神宮寺としての体裁をなした。
南北朝動乱期の延元元年(1336)、摂津守護職赤松範資より社領若干を寄進された。その後、応仁の乱の 兵火により、社殿その他を焼失したが、明応八年(1499)、社殿再建が計られ、享禄元年(1528)別当職玉蔵院は 男山石清水八幡宮に登り、霊代を拝戴してふたたび奉斎した。戦国時代の永禄元年(1558)には、赤松一族の畑山利忠がこの地を攻略、塩田八幡宮を祈願所となし、梵鐘・寺領を寄進した。江戸時代の明暦三年(1657)、三田 藩主九鬼隆昌は社殿を再建、以後、歴代の三田藩主九鬼氏の崇敬を受け続けた。
現在、神社の南方を流れる塩田川は、かつて神社のある山裾を流れていて、川の中島に祀られていた厳島神社の 美しい情景を多くの歌人が詠んだとされる。先の在原行平、鎌倉幕府六代将軍宗尊親王らで、 かれらは塩見川に架かる月見橋を愛で厳島神社は月見神社とも称された。現在は、塩田川の水流は変化して、 当時の面影は後に環らされた堀に偲ぶばかりである。
[境内案内板の由緒書 など]

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