近江国-建部大社




悲劇の皇子-日本武尊を祀る近江国一宮、中世、武運来運の神として信仰を集めた。


建部大社
 
●田原藤太百足退治の舞台-瀬田唐橋 ●参道の鳥居 ●鳥居の幣 ●茅葺の神門 ●神門越しに拝殿

 
●神木-三本杉 ●拝殿 ●境内左の摂社 ●照明具に神紋 ●社殿を見る

 
●境内右の摂社 ●大野神社 ●武宮稲荷神社 ●桧山神社遥拝所 ●石の大灯籠 ●御神石

 
●宝物庫の扉の神紋 ●瓦に据えられた神紋 ●末社-桧山神社 ●秀郷が退治した百足供養塔 ●瀬田橋竜宮神社
社伝によれば、景行天皇四十六年神勅により、天皇の皇子である日本武尊を建部大神として神崎 郡建部の郷に祀ったのが始まりとされ、天武天皇白鳳四年に近江国府があった瀬田の地に遷祀された。 古来建部大社・建部大明神と称され、延喜式内名神大社に列し、近江国一ノ宮として朝野の崇敬篤い古社である。
田原藤太こよ藤原秀郷の百足退治で有名な瀬田の唐橋、唐橋を東に渡ってしばらく歩くと石の鳥居が見えてくる。 日本武尊を祀る正殿と大己貴命(おおなむちのみこと)を祀る権殿が並び立ち、左右に摂社。境内の各所に末社が 祀られている。平治の乱に敗れた源頼朝が伊豆に流される途中に建部大社に参拝、源氏再興の祈願をしたところ 願いが叶って鎌倉幕府を開いた。以後、武運来運の神、出世開運の神として信仰を集めた。


探視トップページへ