京都縦貫道丹波I.C.で下りた右手にある美女山の北西麓に鎮座し、上野・須知・市森・蒲生の氏神として古くから崇敬を集め、かつては須知大宮と称されていた。いつごろに祀られたのかは不明だが、古書には延慶三年(1310)に社殿が建立されたことが記されており、それ以前に創祀されたものと思われる。祭神は事代主命と虚空蔵菩薩であったが、明治の神仏分離によって境内社の春日大明神を相座の神にしたという。
中世、須知一帯を領した国人領主須知氏も庇護の手を加えた。享禄四年(1531)、須智左馬守若子丸が
願主となり、山ア加賀守・乾次郎左衛門を奉行として社殿を修理したことが知られる。さらに、
慶長十五年の造営には米百石に人夫千五百人、寛永十六年には銀一貫五百余匁を授けて上葺を行なったという。
須知氏の嫡流は光秀の丹波攻めのときに滅亡したといわれるが、能満神社の古記録を見る限り、江戸時代はじめまでは
一定の勢力を保持していたことがうかがわれる。
現在の社殿は、江戸時代の延享二年(1745)より氏子一人ひとりが毎月一文ずつの積立をし、蓄積した銀八貫七二〇匁を費やして明和四年(1767)に完成したものと伝えられている。村民の篤志で建立された本殿は、京都府登録文化財・丹波町指定文化財に指定されている。
また、甲子歳に鳥居の建て替えを行ない、大正十三年の建て替えに際しては本殿周囲に回廊が設けられた。
現在の鳥居は大正十三年に建て替えられたときのものである。神社の近くには須知氏の居城であった市森(須知)城・
上野城、須知出羽守が菩提寺として建立した玉雲寺、名瀑として有名な鼓滝などがある。参拝のあと、訪ね歩くのも楽しいだろう。
【境内説明板 より】
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