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●社名石碑と境内 ●鳥居 ●舞殿 ●拝殿を見る
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●本殿を横から ●摂社−稲荷神社 ●舞殿に見える神紋 ●社殿蛙股に彫られた神紋
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●穴太城址へ ●穴太城址の堀切 ●穴太寺山門 ●穴太寺本堂の鈴
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崇神天皇の命により派遣された四道将軍のひとり、丹波地域を治めた丹波道主命が、皇祖開化天皇を主神として祀った
ことに始まるといわれ、開花天皇の御子の彦坐王とその御子小俣の三代を奉祭しています。また、社伝等によると、
和銅元年(708)に、丹波国司大神朝臣狛麻呂が霊域に社殿を建立され、延長五年(927)に編纂された『延喜式』
「神名帳」にも記載された古社です。
社蔵の棟札によると文和元年(1442)には管領細川政元の本殿造営と、その後、明応元年(1792)を始めとする修造、 屋根葺き替え工事が行われています。現在の社殿は、天和三年(1683)に造立された一間社流造、桧皮葺の建物です。 亀岡市内で妻に二重紅梁大瓶束を用いた早い事例であり、京都府の登録文化財となっています。また、社宝として全国に 三幅といわれる円山応挙の絵馬の一つが保存されています。 【境内説明板より転載】 ・・・・・・ 小幡神社の後方の山には戦国時代の山城跡である穴太城址、東南方すぐのところに本尊:薬師如来、札所本尊:聖観世音菩薩を祀る西国三十三箇所第21番札所の一つ穴太寺がある。 |