蒙古襲来のときに活躍し、後醍醐天皇の倒幕活動に尽力し、菊池武時・武重は北条氏の軍と戦って討死した。武光は父や兄の遺志を継いで南朝に尽くし、後醍醐天皇の皇子懐良親王を奉じて一時は九州一帯に南朝全盛期を現出した。菊池神社は武時・武重・武光を中心として菊池氏一族を祀っている。また、同神社の地は菊池氏の居城であた隈府城の地であり、加藤清正が熊本城を築くまで、肥後国の中心地でもあった。 神社の境内に足を入れると、菊池氏の紋である「並び鷹の羽」がいたるところで見られる。また本殿に向かうと南朝に尽くした菊池氏にふさわしく「菊花」紋が据えられていた。 ●菊池氏の「並び鷹の羽」紋/●菊花紋/●菊池氏居城跡の碑 |
灯篭祭りで知られる山鹿市にある。景行天皇の本営跡といわれ、同天皇を祀っている。濃霧の日においでになった景行天皇を村人が松明を灯してお迎えしたことが、灯篭祭りの始まりと伝えている。神紋は菊池氏と同じ「並び鷹の羽」に細輪が付けられていた。 ●山鹿神社内陣/●山鹿灯篭を模した灯篭/●山鹿神社の神紋 |