八上城下で見つけた家紋

 
波多野氏が拠った高城山八上城址は、丹波最大級の山城だけに見所が多く、登るたびに新しい発見がある。 この春、三度目の登城を企て、主郭北の曲輪群と南西尾根に築かれた曲輪群、そして、西尾根中腹の平坦地を探索した。 下りは平坦地から南西に伸びた尾根先端にある奥谷城址を目指し、城下町であった殿町へと下りていった。
高城山麓に点在する寺院には、かつて波多野氏と関わりを有したと思われる名字をもった家々の墓があり、 墓石に刻まれている家紋を見るのも八上界隈を訪ねる楽しみのひとつだ。 下山したあとは、殿町の松谷寺、八上上の十念寺の境内墓地をぶらぶらと訪ね歩いてきた。

八上城 殿町
左、篠山川越しに見る八上城址 右、城下町の佇まいを見せる殿町 
 
殿町の松谷寺は柏隆山と称し、波多野氏の城下町であった殿町の高城山山麓にある禅宗の寺院だ。 殿町の高城山麓の集落は、戦国時代の波多野家家臣団の屋敷跡をそのまま使ったようで、いまも石垣が諸所に残っている。松谷寺はそのような殿町の山側にあり、波多野家とのゆかりを感じさせる所だけに墓地の墓石に刻まれた家紋への期待は高い。

八上−松谷寺
松谷寺点景
八上−松谷寺

境内を経巡ると、井関家が「丸に剣四方木瓜」「立面高」、波々伯部家が「下り藤」「丸に横木瓜」、柴田家が「九曜」、細見家が「丸に三つ星」といった家紋が見られた。井関家は渋谷氏らと並んで波多野氏の重臣にその名字があり、波々伯部家は波々伯部神社近くの淀山城を本拠に一勢力をもった家が知られる。波々伯部氏の家紋は室町時代の記録に「松喰対い鶴」と残されているが、墓地の墓石群には見当たらなかった。武家を捨てて帰農したときに家紋を変えたものであろうか。細見氏は本郷に城を構えた細見将監が波多野氏に属して活躍、その名字は丹波一円に広まり「三つ星」紋は細見一族の代表紋として有名なものだ。今回、墓に彫られた家紋を見て回ると、名字は同じでもそれぞれの家の紋は一様ではなく、名字の一部を角字にしたものが多かったのも印象的であった。

下り藤 九曜 三つ星
左から、下り藤・九曜・丸に三つ星

八上上の十念寺は、ずばり高城山を号する浄土宗の寺院で八上城址北方山麓に位置している。 境内の後方を見上げると高城山が山号そのままに聳え立ち、わずかに八上城址の主郭も見える。

八上-十念寺  十念寺参道

境内の墓地は、まことに古式蒼然としたもので、古い墓石が散在している。それぞれ家紋を拾っていくと、波多野家は「丸の内に十字」、鷲尾家は「五つ葉木瓜」、山内家は「細三つ柏」、中川家は「中川柏」、そして、珍しい名字の五十川家が「下り藤に横木瓜」などなどだ。十字紋は轡と混同されることが多いが、波多野家のものは丸の内に十字であり間違いなく十字紋である。山内家の三つ柏は土佐山内氏と同じ葉が細い図柄のもので、土佐山内氏を丹波出身とする説からも同族と思われる。中川家も豊後竹田中川家と同じ図柄で、中川柏ととくに称されるものである。 中川家は摂津から起こった中川清秀で勇名だが、一説には亀岡の馬路から出た家とするものもあり、こちらも同族であろうか。

丸十字 五葉木瓜 細三つ柏
左から  丸に十字  五葉木瓜  細三つ柏

中川柏 藤に木瓜
左から、中川柏・下り藤に横木瓜

八上城下の寺院墓地は、都会などに乱開発される●●霊園、■■墓苑といった所とは違って、 地域に根ざした家々の墓石ばかりが祀られている。それだけに、遠いむかしからの名字と家紋が 伝えられていることが多い。遠く戦国時代に思いをはせながら墓石の間を逍遥するのは楽しい時間だが、 人から見れば怪しいおっさんと思われても仕方がない行動ではある。