西の京都、山口を歩く。


山口の町は、西国の戦国大名として名を馳せた大内氏が居を構えたところである。 大内氏は最盛時には中国地方から鎮西まで支配下におき、 本拠地の山口を京にならった町づくりをした。 武門の雄として中世を生きた大内氏であったが、義隆の代にいたって風雅に流れるようになり、 ついに重臣陶晴賢の謀反によって滅び去った。 山口の町を歩くと、日本三名塔の一番に数えられる瑠璃光寺の五重塔、 祇園祭の鷺舞神事で有名な八坂神社や今八幡宮、山口の街のあちこちから見える鴻ノ峰山上には、 大内氏が最期を迎えた高嶺城跡が残っている。

 
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●県庁前から高嶺城址を見る ●館跡龍福寺北側の土塁 ●瑠璃光寺の国宝五重塔



大内弘世が守護所および総督府として建築した大内館、往時は方百間の土塁・堀がめぐらされていた。 大内氏が滅亡したのち、弘治三年(1557)、館跡に毛利元就が大内義隆の菩提寺を弔うために龍福寺を建立した。 境内には義隆の供養塔が建立され、随所に大内氏の「唐花菱紋」を見ることができる。
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●龍福寺山門で ●龍福寺境内の供養塔に ●龍福寺庫裏に ●八坂神社で



瑠璃光寺から少し歩いたところにある洞春寺は、大内持盛の菩提寺で滝の観音寺を再建したもの。 創建は永享二年(1430)と伝えられ、山門と観音堂は室町時代の禅風を伝える雄渾な造りだ 。関が原の合戦後、毛利氏が防長に移封されると毛利元就の菩提寺になった。境内を歩くと 毛利氏の一文字に三つ星が据えられている。山口は、大内氏、毛利氏の歴史がそこかしこに感じられる町である。
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●瑠璃光寺の蛇の目に八曜 ●洞春寺の重文観音堂 ●元就の一文字に三つ星