大和国の東北部の台地上の大和高原に位置する宇陀野は、八世紀に編纂された「古事記」「日本書紀」、さらに「万葉集」にその名が登場する古代より拓けたところである。大和朝廷との結びつきも強く、
伊勢国と往来する人々が行き交い、菟田野の中心にのこる「古市場(ふるいちば)」の地名が占めすように古代より
交易の要所でもあった。
宇陀野を貫流する芳野川を前にして古市場に鎮座する宇太水分神社は、崇神天皇の時代(570ごろ)に創建されたという 式内古社で天水分神(あめのみくまりのかみ)・速秋津彦神(はやあきつひこのかみ)・国水分神(くにのみくまりのかみ)を祀る宇陀郡内屈指の大社だ。大和国の東西南北には葛城(葛木)・吉野・都祁、そして宇陀(宇太)の四つの水分神社が祀られ、 いずれも式内社であり、東の水分神社が宇太水分神社である。 水分(みくまり)とは「水配り」ともいわれ、古くから農耕の神として信仰されている。宇太水分神社は芳野川沿いに上社、 榛原下井足に下社、そして古市場の中社の三社からなっている。なかでも中社は宇陀野の産土の社として、 宇陀野の総鎮守として篤い信仰を集めている。 |