伊勢街道の名残をとどめる宇陀を歩く


大和国の東北部の台地上の大和高原に位置する宇陀野は、八世紀に編纂された「古事記」「日本書紀」、さらに「万葉集」にその名が登場する古代より拓けたところである。大和朝廷との結びつきも強く、 伊勢国と往来する人々が行き交い、菟田野の中心にのこる「古市場(ふるいちば)」の地名が占めすように古代より 交易の要所でもあった。
宇陀野を貫流する芳野川を前にして古市場に鎮座する宇太水分神社は、崇神天皇の時代(570ごろ)に創建されたという 式内古社で天水分神(あめのみくまりのかみ)・速秋津彦神(はやあきつひこのかみ)・国水分神(くにのみくまりのかみ)を祀る宇陀郡内屈指の大社だ。大和国の東西南北には葛城(葛木)・吉野・都祁、そして宇陀(宇太)の四つの水分神社が祀られ、 いずれも式内社であり、東の水分神社が宇太水分神社である。
水分(みくまり)とは「水配り」ともいわれ、古くから農耕の神として信仰されている。宇太水分神社は芳野川沿いに上社、 榛原下井足に下社、そして古市場の中社の三社からなっている。なかでも中社は宇陀野の産土の社として、 宇陀野の総鎮守として篤い信仰を集めている。


 


芳野川を渡り、朱塗りの鳥居をくぐり抜けて境内に足を踏み入れると、神寂びた雰囲気が充満している。 見事な朱塗りの本殿は三社造りで中央と左右の三殿からなる一間社春日造りで、鎌倉時代に建てられたもので国宝指定を受けている。いまの華やかな色彩は、2003年に社殿が塗り替えられた時、わずかに残されていた色彩をもとに復元されたのだそうだ。本殿の右隣に並ぶ摂社春日神社と宗像神社は、室町中期の建築にかかるもので重要文化財に指定されている。境内はさほど広くはないが、華やかな色彩と、 神寂びた雰囲気が見事に融合した空間が形成されている。そして、境内のあちこちには、水の神様らしい「面高紋」が 据えられていた。
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●見事な朱の鳥居 ●古寂びた拝殿 ●賽銭箱に面高紋 ●国宝の本殿




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●社務所前の提灯の紋 ●境内のテントに面高紋 ●摂社春日神社の藤紋 ●見事な細工の御輿




宇陀野の街を歩くと、かつての街道の面影が残り、かつての豪商の家であろう立派な造りの屋敷が残っている。また、 菟田野は先史時代の遺跡や古墳群、奈良朝仏教の史蹟など多くの歴史遺産が伝来しているところでもある。 訪問した日は秋祭りの当日で、境内では御輿の組立や神社の飾りつけなど祭礼の準備が行われていた。 心惹かれるものがあったが、つぎの目的地に移動したため祭礼を見ることは叶わなかった。 あとで調べると、宇太水分神社の祭礼は時代装束姿で御渡り行列、神社境内を太鼓台、 子供神輿などが練り歩く勇壮な祭りという。まさに「あとの祭り」であった。宇陀野は見そこねた秋祭りの見物と 古蹟探索とを併せて、来秋の再訪を期しているところだ。
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●鳥居の御幣 ●街道筋に残る見事な住宅 ●瓦には丸に一文字紋、藤紋が見える