桐 紋
昔は桐のたんすや調度品が多かったので、桐畑が多かった。五月頃に咲く桐の花は美しかった。が、今は桐の木は
あまり見かけなくなった。また昔の中国では、桐の木を「鳳凰」がきて鳴くめでたい木と呼んでいた。鳳凰は想像上の
瑞鳥で、鳴き声はわからないが「聖天子誕生、聖天子誕生」と鳴くという。それで桐は聖天子のシンボルに
なったらしい。日本にもこの思想が輸入され、桐紋は皇室で使用されるようになったようだ。(五七の桐)
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【主な使用家】
古い例では、「蒙古襲来絵詞」に見える天草の大矢野種野保の幡に描かれている。また、後醍醐天皇から足利尊氏が賜っている。桐紋は皇室が臣下に、下賜された武将がさらにその臣下へ与えるというかたちで増えていったようだ。幕末には大名・旗本のうち桐紋をしようする家は、その全体の五分に一にもおよんでいたという。
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五七の桐 |
雪輪に五三の桐 |
花 桐 |
中かげ桐車 |
中かげ光琳桐 |
中かげ桐 |
細ねじ桐車 |
踊り桐 |
蔓 桐 |
五七の鬼桐 |
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人には誰でも名字があり、家には家紋が伝えられています。
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