篠山の歴史・見処を訪ねる-金山


鬼の架け橋








篠山市と丹波市の境に位置する金山の頂上にある奇勝で、古より多くの文人墨客が訪れている。江戸時代末期の天保五年(1834)、丹波に入った浮世絵師安藤広重が「日本六十余州名所絵図」の一つに描いたことはよく知られている。
昔話によれば、「大江山に棲む鬼は夜な夜な京に出没して、財宝を盗み、子女をさらうという悪行を繰り返した。その鬼が京から丹波に帰るとき、金山の谷が深く、曲がりくねった道であったため、大きな岩で架け橋を作ったのだ」という。しかし、実際のところは十五世紀の中ごろに起こった丹波地震によって崩れた岩が、架け橋のようになったのだといわれている。岩をよじ登ってみると見事な景観が広がるが、架け橋の北側はスパっと切れ落ちており、肝っ玉が縮むこと受け合いの展望だ。鐘が坂の柏原側に設けられた展望所からは文字通り鬼の架け橋とよばれる景観が望めるが、新トンネルができたことから訪れる人もないようで荒れるにまかせているのが残念だ。
架け橋のすぐ隣には、戦国時代、丹波に侵攻した明智光秀が多紀郡(篠山市)と氷上郡(丹波市)を断ち切るために築いた金山城址が存在。山頂の巨岩を利用した石垣、曲輪が今も残り、丹波戦国史には欠かせない山城の一つだ。城址の主郭から北を眺めると氷上郡の豪勇赤井直正が拠った黒井城、南方には丹波の戦国大名として名を馳せた波多野氏の居城であった八上城址が望め、光秀がこの地に築城した意図がよく理解できる。