篠山の山城を探索する-浜谷


遊谷城址



南を走る県道方面から城址を見る(2009年6月28日)


藤井館城址



虎口へ ・ 主郭に祀られた祠と後方の土塁 ・ 北側の堀切 ・ 北曲輪と主郭の土塁


遊谷城址



登り口の古い祠 ・ 城址へ ・ 城址南端部の窪み ・ 南端部の竪堀/FONT>



南曲輪東側の竪堀 ・ 腰曲輪の切岸 ・ 小曲輪が連続する ・ 北曲輪の水道施設/FONT>


 
歩兵第70連隊の本営跡地の一角にある篠山警察署から道路を隔てた北東の小山に、藤井居館、 その後方の山上に遊谷城があった。いずれも藤井氏が築いた城館といわれ、藤井居館は60メートル四方の 規模で、主郭には石碑と小祠が建立されている。土塁に囲まれた主郭部の北側には帯曲輪があり、 帯郭に沿って水掘が穿たれて、往時の縄張りがいまも明瞭に残っている。
藤井居館址から遊谷城へは、居館址すぐ南にある長楽寺東方の道を分け入り、 朽ち果てつつあるかのような神社の横から山上をめざした。落ち葉の散り敷いた山道を登って行くと、 南郭に到達する。遊谷城は南郭、中郭、北郭で構成され、南郭が主体で帯曲輪・竪堀などが 設けられている。南郭から中郭へは高い切り岸で隔てられ、中郭にはNHKの電波塔が立っている。 さらに、北郭に進むと突然に用水施設の建物があらわれる。遊谷城址は縄張りも明確に残っているだけに、 突然にあらわれた用水施設には驚くやら、城址の扱われ方の杜撰さに腹がたつやらした。 一方で城がもつ立地のよさを裏付ける傍証にも思われ、また、施設がかつてあったであろう建物の 規模を推測させる物指ともなり、なんとも複雑な気持ちであった。
城主は藤井氏と推定されているが、近在土豪の浜谷氏・郡家氏・熊谷氏等が使用したともいわれている。 城址へは南側から登ったわけだが、水道施設に登る道をたどれば迷うことなく城址にたどり着ける。 しかし、できれば大手道と思われる南側から城址をめざし、尾根に連なる曲輪群を攻略していきたい。
・登城:2009年1月4日