篠山の山城を探索する-小坂字東谷


小坂城址



宮田の大師山の中腹より城址方向を遠望(2009-11/08)


多紀郡(篠山市)西紀町と氷上郡(丹波市)春日町の境をなす山並み、 その主峰というべき鋸山より南に伸びた尾根先に遺構が残っている。 城址の南山麓を通る道は昔の西国巡礼道で、佐仲峠を越えて氷上郡から丹後に通じる要道として かつては多くの旅人が往来したという。また佐仲峠の入り口あたりには、篠山から氷上郡東中山に 通じる峠道が分岐している。 いまではそれらの道は忘れられつつあるが、 小坂城は篠山から氷上に通じる要道を押さえる格好のところに位置していたのである。


上板井より城址を見る ・ 明月神社 ・ 明月神社裏山の曲輪 ・ 城址へ登る ・ 小坂城址南端部の腰曲輪と切岸


小坂城は帯曲輪の集合体のような縄張りで、北側ピークの曲輪が主郭と思われる。 主郭の北側には腰曲輪、その先の急斜面を下ったタワ部に土橋を伴った堀切が 切られている。一方、城址の南端部には竪堀が畝状に落とされ、要道が通る 南方面に備えるつくりとなっている。さらに、 城址の南山麓にある明月神社は街道の格好の目印で、神社後方にも 遺構を思わせる地形がある。おそらく、街道を見張る出曲輪であったのだろう。

小坂城界隈マップ

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・地図:地図閲覧サービス(ウォッちず)の二万五千分の一地図をベースに作成。  


東帯曲輪を見下ろす ・ 曲輪の削平は甘い ・ 所々に自然の岩が露出する ・ 主郭部切岸と北の腰曲輪


北腰曲輪から主郭を見る ・ 北西部の竪堀 ・ 北尾根から堀切を見る ・ 鋸山山頂から城址方向を遠望


小坂城の城主、城史とも不詳だが、『戦国・織豊期城郭論』では、小坂城南側に市する板井城の 支城として築かれものであろうと推測されている。板井城は丹波守護職に任じた山名氏が 本拠としたところで、戦国時代にはその後裔という山名小太郎が居城としていた。 板井城の東方にある 西谷城は板井山名氏の家臣と目される岡本氏が拠ったところで、この城も 畝状竪堀が特長的な縄張である。畝状竪堀といえば、但馬に築かれた山名氏系の山城群に みられるもので、西谷城・小坂城は篠山における山名氏系山城のサンプルといえるものかもしれない。
他方、佐仲峠の西方にある三尾山の山頂部は赤井氏が築いた三尾山城があり、 氷上郡と多紀郡の連絡を確保するとともに京都方面ににらみを利かす重要拠点となっていた。 また、西谷城の西山麓にある弘誓寺の境内には三尾城主であった赤井幸家の墓碑が残されている。 ひょっとして、小坂城は三尾城の篠山方面の前衛として築かれ、西国巡礼道を押さえる 出城であったとも考えられる。まことに小さな山城だが、考えれば考えるほど、 小坂城の秘めている歴史は意外と奥深いものがあるように思われてくる。

・弘誓寺の赤井幸家の墓碑(2009-07/26)

・登城:2010年04月26日

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鋸山に登る