■其の二 |
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西郷隆盛の抱き菊の葉に菊
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西郷家は肥後菊地氏の流れといい、家紋は「青山菊」とも呼ばれ、
勤皇に尽くした先祖の菊地氏が天皇から賜ったものという。しかし、
菊地氏と一族は鷹羽紋を定紋としており、西郷家の菊紋の由来に関しては
そのままに受け取れないものがある。おそらく、菊地の「菊」を家紋化したのではなかろうか。
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高杉晋作の丸に割菱
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高杉氏は安芸守護職に任じた安芸武田氏の一族で、戦国時代、
備後国三谷郡高杉村に城を築き高杉を名乗ったのがはじめという。
安芸武田氏は毛利元就と戦って敗れ、生き残った高杉春時は元就に仕えた。
高杉家の家紋割菱は、武田氏の嫡流に近い流れであることを示すものといえそうだ。
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後藤象二郎の藤巴
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土佐藩上士の家に生まれ、吉田東洋の推挙を受けて活躍したが、
東洋が暗殺された後は失脚、一時不遇の時期を送った。のちに返り咲くと、
土佐勤皇党を弾圧した。象二郎の後藤氏は大坂の陣で活躍した
豪傑後藤又兵衛の子孫といい、藤紋は後藤氏の代表紋であった。
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■其の一 |
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坂本家の組違い角に桔梗
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龍馬の生まれた坂本家は、その家系伝説としては明智光秀の一族という
明智左馬助光春を祖とするという。
光春は山アの合戦で光秀が敗れたのち、近江坂本城に帰って自刃した。そのとき、
騎乗したまま琵琶湖を渡りきった「明智左馬助の湖水渡り」は有名。
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岩崎家の重ね三階菱
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弥太郎の出た岩崎家は、家伝によれば甲斐源氏武田氏から分かれた岩崎氏の後裔だという。
弥太郎はのちに三菱財閥を興すが、三菱の社章は岩崎家の三階菱と恩義のある土佐藩主山内家の
「細三つ柏」を合体させたものとして知られる。
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千葉家の月星
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龍馬が学んだ千葉道場は、北辰一刀流を興した千葉周作の弟定吉が経営するところであった。
千葉氏は北極星すなわち北辰を崇敬する妙見信仰であったことから、月と星を象った「月星」を家紋とした。
現代でも千葉を名乗る家の多くが月星紋を用いている。
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