星 紋
桓武平氏千葉氏の月星紋が知られる。
また渡辺氏、大江氏なども星紋を使用した。
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九曜 |
三つ星に一文字 |
一文字に三つ星 |
並び九曜(角九曜)
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夜空に輝く星といえば「★」形に表現するが、家紋の世界では「●」で表現している。呼称も易学の影響から「星」とは呼ばずに「曜」と称されることが多い。
星は一定の軌道を運行し、狩猟や航海など遠出をする者にとってはその位置を、農耕で暮らす者にとっては季節の
移り変わりを知る暦をつくるための重要な存在であった。また流れ星には、運命の変転を予感させるものがある。やがて星の並び方より星座が生まれ、十二宿・二十八宿に分類され、天文学的な整理がなされると同時に、個人の運命を支配する宿曜信仰が生まれた。
数ある星のなかで北天の空に輝く北極星は、真北にあって動かないことから方位を知る基準となり、北極星を囲んでまわる斗形の星座は北斗七星(柄杓星)とよばれて重んぜられた。このインドに発した星の信仰は中国を通って日本に伝わり、北極星は妙見菩薩として具現化され、弓箭守護の仏天として尊崇を受けた。北斗信仰は中国を経て日本にも伝来し、奈良時代の正倉院御物の剣に北斗七星を彫ったものがあり、これが我が国における北斗信仰を形として残した最古のものである。
平安時代に、三つの円形を「品」字形に配した文様が用いられていた。いわゆる水玉模様の一種だが、この文様が
のちに「三つ星紋」となった。また三つ星は、オリオン座の中央に列する三つの星を大将軍星・左将軍星・右将軍星
として、三武・将軍星などとよばれ、むかしから武神として信仰された。また、『伴大納言絵巻』や『平治物語絵巻』
などに「星=●」九つの九曜紋が描かれているが、これは平安時代に盛んであった九曜曼荼羅信仰からきたものという。
そもそも九曜は古代インドにおいて、卜占に用いられた星で、日・月・火・水・木・金・土・羅●(ラゴ)星・
計都(ケイト)星の九つをいい、天地四方を守護し、真言の本尊とされる。平安時代から流行している信仰で、
護符のように、牛車の文様に散らされている。大円を中心にして、八個の小円を周囲に配列した図柄である。さらに、
北極星の周りを巡る北斗七星を象った七曜があり、北斗星紋ともいわれ日・月・火・水・木・金・土を表したもので
妙見信仰から生まれたものだ。このように、星=曜は天体を変わらぬ規則で巡る星への信仰を形とし、信仰心、とくに
武家では武神として崇敬、みずからの家紋として用いるようになった。
曜星紋を用いた武家を代表するのは、下総の中世豪族であった千葉氏である。伝承によればむかし平将門とともに兵を挙げた祖の平良文が窮地に陥ったとき、空から星が降ってきて、それに力を得た良文は戦に勝利したことにちなむという。とはいうものの、武神を崇める妙見信仰から生まれたものであろうが、千葉氏をはじめとする良文流の諸氏が挙って家紋に用いたことから曜星紋は千葉一族の代表紋となっている。
千葉氏の場合、星と月を組み合わせた「月星紋」を嫡流が用い、庶流は「八曜」「九曜」「十曜」など「諸星紋」を家紋にしたという。『見聞諸家紋』には千葉氏の紋として「九曜」が描かれて、月星の名が付けられている。また、『羽継原合戦記』に、「月に九曜」は千葉介、「八曜」は上総介、九曜星は標葉氏とみえ、いずれも千葉氏の近い一族である。さらに千葉氏からは多くの一族が派生し、著名なところでは相馬・大須賀・武石・国分・東などが挙げられる。また、文治年間、奥州藤原氏が滅亡したあと、千葉氏の一族が多く奥州に移住し、長坂・亀卦川・大原・矢作・星などが出た。かれらは共通して星辰紋を用いた。こうして、各地に広まった千葉一族から、さらに多くの家が生まれ、月星紋・九曜紋を代表とした星(曜)紋が広まっていった。
応仁の乱のころに成立した『見聞諸家紋』には、千葉氏のほかに、長氏・市氏の銭九曜、
荒尾氏・溝杭氏・宿久氏の九曜、上総介・角田氏・鬼窪氏の地抜九曜、富樫氏の八曜紋などの曜星紋が収録されている。
これらの諸氏は桓武平氏とは出自を異にするものもあるが、いずれも、妙見信仰から用いるようになったものであろう。
■ 見聞諸家紋にみえる曜星紋
左から:千葉介の月星 /長弥九郎泰連の銭九曜 /上総介の地抜九曜 /富樫介泰高の八曜
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一方、オリオン座の将軍星からきた三つ星の場合、一文字と組み合わせた「三つ星一文字紋」と「一文字三つ星紋」が有名である。一文字は、数の根元で、極数の九に相対し、もののはじめとされ、「かつ」とも訓まれる。一番槍、一番首を誇りとする武士にとって、よろこばしい文字であり、「一番文字紋」「一文字紋」などの家紋もある。
「三つ星一文字紋」は、嵯峨源氏から出た渡辺氏の代表紋となっている。「渡辺星」とも呼ばれ、世の渡辺さんの多くはこの紋を使用している。渡辺氏から分かれた松浦氏は一文字を略して「三つ星紋」だけを用いている。これは宗家渡辺氏をはばかって、一文字を略したのだという。一方、「一文字三つ星紋」は大江氏の代表紋として知られているもので、大江氏の遠祖が「一品」に叙されたことから「一品」の字を「一文字三つ星」に表体化して、一族が紋にしたと伝えられている。大江氏の後裔である戦国大名の毛利氏をはじめ、那波・長井・寒河江などの大江流諸氏が用いている。また、出羽の仁賀保・打越氏らが一文字三つ星紋を用いているが、大江氏とのゆかりから用いるようになったようだ。
先の見聞諸家紋には本郷氏・饗庭氏の「三星」がみえ、渡辺氏の「一文字に三つ星」、摂津中屋の渡辺氏の「三星」
長井・毛利・萩氏、綺氏らの「一文字に三つ星」、毛利氏の「吉字に三星」が収録されている。
■ 見聞諸家紋にみえる三星紋
左から:長井・毛利氏の一文字三つ星 /毛利氏の吉字に三つ星 /本郷氏の三つ星
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上記以外にも、戦国時代に海の大名として名を馳せた九鬼氏の「七曜紋」、信濃の海野氏一族の曜星紋が有名、その他、藤原氏流では天野・伊東・曾根・山上・喜多川の諸氏が用いている。江戸時代、肥後熊本藩主であった細川家も九曜紋を用いたが、これは織田信長から賜ったものと伝えられている。細川家の九曜紋はまわりの星が小さいことから「離れ九曜」と称されている。変わったところでは星三つを三段に積み上げた「角九曜」紋があるが、保科氏の家紋として知られている。
曜星紋は、その由来、意匠ともに、まことに多彩で、それぞれの家の出自により工夫がなされている。いま、「月星紋」あるいは「九曜紋」を用いている家は千葉氏の後裔あるいはゆかりの家、「一文字三つ星」は大江氏流、「三つ星一文字」は渡辺一族とおおよその見当が付けられる。いずれにしろ、家紋とじっくり向かい合うことで、遠い先祖の姿がみえてくるはずだ。
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