菊 紋
品のある姿から鎌倉時代の初期、後鳥羽上皇に愛され、
以後、皇室のシンボルとなった。
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菊は牡丹のように艶やかな姿ではないが、その香りと姿には、品格があって清々しさを感じさせる。菊はキクと呼ばれるが、昔はククリ花とも呼ばれた。これは花の形が絞ってくくる
「しぼり染め」の文様に似ているからで、纐纈染をククリ染と呼ぶ言葉に残っている。
菊はもともと日本在来のものではなく、中国渡来の植物で、仁徳天皇のころに伝わったという。はじめは薬用であったという。中国の南陽の甘谷には、菊が群生していて、その沢の水を飲むと百歳の長寿を保つという伝説があった。また、陰暦九月は菊月といわれ、九月九日の重陽の節句には菊祭りを行って幸せを願った。そして、平安時代から鎌倉時代にかけて衣服の文様に好んで用いられるようになり、
それが、やがて家の紋章としても用いられるようになったのである。
菊紋は、皇室の紋章として知られる。皇室の紋は、古来「日月」であったが、菊紋が皇室の紋章として用いられるようになったのは、鎌倉初期の後鳥羽上皇がことのほか菊好きだったことによる。承久の乱の首謀者として知られる上皇は、菊の花を文様として車・調度、さらに衣装などに用いられた。先例を重んじる公家社会において後代の天皇方がもそれを踏襲されたことから、菊花も日月紋とともに皇室の紋章として認識されるようになった。
おそらく、鎌倉中期には定着したものと考えられている。
菊紋は種類も使用する家も多い。公家では広幡・水無瀬・七条・桜井氏らが用い、武家では足利尊氏が後醍醐天皇から恩賞として菊紋を下賜され用いるようになったといわれる。楠木正成も菊紋を下賜されたが、畏れ多いとして下半分を水に流した「菊水紋」にしたという。
楠木一族の和田氏なども菊水紋を用い、後裔にあたる徳川旗本の甲斐庄氏も菊水紋を用いている。
『見聞諸家紋』を見ると、設楽氏が「三つ盛菊」、楠木・和田氏が「菊水」、逸見氏が「籬架(マセ)菊」、大芋氏が「二つ雁に菊水」、妹尾氏が「輪違いに菊」、宇津木・中村氏が「亀甲の内に菊」、若槻氏が「菊」、横越氏が「丸の内に合せ割菊」、大河戸氏が「並び菊」とかなりの武家が用いていることが知られる。
なかでも宇津木.中村氏の場合、後南朝から神璽を奉還したことで菊紋を賜ったことが記されている。
『応仁後記』には、三河の住人大河内正綱が三河・遠江の在地諸勢力をまとめて「菊一揆」を結成したことが書かれている。集団の合じるしが「十六弁の菊」であったことからそう呼ばれた。
大河内氏の家紋は「臥蝶(浮線蝶)」であったが、以後、中に菊を取り入れた。
■ 見聞諸家紋にみえる梶紋
その他、菊紋を用いる武家は、足利将軍家の一族であった喜連川・吉良・最上の諸氏、戦国大名では、毛利・波多野・上杉氏らが知られる。徳川大名では、毛利・木下・伊達・牧野・京極・宗の諸氏が用い、さらに里見・荒川・篠原・松下・夏目などの旗本諸家も菊紋であった。夏目氏のものは「井桁に菊」と称され、屋敷の門にその紋がつけられていたことから、その界隈は菊井町と呼ばれるようになった。
また、譜代大名である青山氏は、菊と葉を組み合わせた「青山菊」と呼ばれるものを使用していた。
このように菊紋は皇室から下賜された武家、将軍足利家より賜った武家などが用いており、徳川家康も後陽成天皇から
菊紋賜与の御沙汰があったが辞退している。家康にしてみれば、足利家をはじめ多くの武家が賜った菊紋に魅力も価値も
感じなかったということであろう。以後、菊紋の下賜は行われなくなった。江戸時代は徳川家の葵紋が絶対的な
権威をもち、菊紋は役者の紋や町家の商標などにまで濫用されるなど、まったく権威を失っていた。
菊紋の権威が復活するのは明治以降のことで、天皇権が絶対化していくとともに、皇室のシンボルとして菊紋も
絶大な権威をもつ紋章となった。
なかでも「十六菊」は皇室専用の紋章として、宮家はもとより皇室以外で用いることを禁じられるにいたった。
そして、そのルールは終戦まで固く守られたのである。
菊花は皇室ゆかりの神社で神紋に用いられている。たとえば、神武天皇が東征の軍を発した故地とされる高千穂神社も「菊花紋」である。また、同神社から遠くないところに鎮座する天岩戸神社は、古事記などに記されている天照大神の神話の地であり「菊花紋」が神社の境内のいたるところに据えられている。
一方、菊紋を寺の紋に用いる寺院も多いが、これも皇室との関係から用いるようになったものだ。
ところで、明治維新の功臣である西郷隆盛も菊花紋を賜った。それは明治天皇自らが考案されたもので、「抱き菊の葉に菊」紋であり、天皇を左右から補佐せよといものであった。隆盛は恐懼して退下し、
家人を集め、そのいわくを話し「この紋は、一代のもの」と戒めたという。だから、子孫の家には伝わっていない。
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写真:神社の菊紋(西宮市廣田神社にて)
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