輪鼓紋
大陸から伝来した玩具から生まれた
丹波内藤氏の代表紋としてあまりに有名。
輪鼓に手鞠 丸に輪鼓 三つ盛輪鼓 丸に輪鼓(内藤輪鼓)

 輪鼓(リュウゴ)といっても、いまではほとんど忘れられてしまっているが、平安時代から伝わっているオモチャのことである。形は円錐を上下に二つつないだもので、木で出来ている、これを柄のついた糸を両手であやつり、転ばして廻す。あるいは投げ上げて、糸で受け取ってまた廻すというもの。独楽などと同じで、大陸から渡ってきたものである。木材をつなぐチギリや杵(キネ)に似ていることから、チギリ紋・杵紋に分類されることもあるが、チギリや杵とは別物である。
家紋  『見聞諸家紋』には、細川勝元の被官で丹波守護代の内藤氏が「輪鼓に手鞠」を用いたとあり、『羽継原合戦記』にも内藤備前が「りゅうごにまり」とある。これらの記録から、輪鼓はかなり古くから内藤氏の紋として知られていたことがわかる。「輪鼓」「手鞠」とも子供の玩具であり、チキリ、キネとはいえないことがわかる。玩具を組み合わせて家紋とした内藤氏はなかなかの洒落者ではある。いまも内藤氏が勢力を張った丹波に行くと、「輪鼓」を用いる内藤家がある。一方、「輪鼓」を「杵」に、「手鞠」を月に置き換えて「月に杵」を家紋とする家もあるそうだ。たしかに、杵をもったウサギが月で餅をついている話を想像させて楽しいが、原型は「輪鼓に手鞠」であることは言うまでもない。
 近世大名の大関氏は「柊に沢瀉」を用い、替紋に「朧月」という風雅な紋を用いていたが、その原型は「輪鼓」であった。『大名紋画』という史料には大関氏の家紋として「輪鼓」が載せられ、『江戸鑑』にも「紐付きの輪鼓」が大関氏の紋として載せられている。さらに、大関家の法被の印は「二つ輪鼓」であった。のちの『武鑑』などに大関氏の替紋は「朧月」となっており、「二つ輪鼓」に丸みをもたせた結果「朧月」へと変化したようである。

家紋
家紋
二つ輪鼓
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朧月

 そのほか、嵯峨源氏の滝氏、桓武平氏良文流の田中氏、大関氏と同族の丹治氏流大田原氏などが「二つ輪鼓」用いている。キリシタン大名として知られる内藤ジョアンは丹波内藤氏最期の当主であり、その家紋は「輪鼓に手鞠」であった。

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写真:園部市船岡の藁無城近くでで見つけた輪鼓紋

輪鼓紋を使用した戦国武将家
丹波内藤氏

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どこの家にも必ずある家紋。家紋にはいったい、 どのような意味が隠されているのでしょうか。
家紋の由来にリンク 家紋の由来にリンク


応仁の乱当時の守護大名から国人層に至るまでの諸家の家紋 二百六十ほどが記録された武家家紋の研究には欠かせない史料…
見聞諸家紋

戦場を疾駆する戦国武将の旗印には、家の紋が据えられていた。 その紋には、どのような由来があったのだろうか…!?。
由来ロゴ
家紋イメージ

篠山の山城に登る
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